田中角栄。高度経済成長を牽引し、今なお語り継がれる伝説の政治家。その波乱万丈な人生は、数々の逸話に彩られています。中でも、昭和天皇との関係性は、田中の政治家としての本質を浮き彫りにする重要な鍵と言えるでしょう。この記事では、ノンフィクション作家・保阪正康氏の著書『田中角栄の昭和』を参考に、型破りな政治手法で昭和史に名を刻んだ田中角栄の真実に迫ります。
天皇への畏敬なき姿勢、その背景
田中角栄は、他の首相たちとは異なり、天皇に対して特別な感情を抱いていなかったと言われています。吉田茂や佐藤栄作のような〈臣〉としての意識は薄く、独自のルールで天皇に接していたようです。これは一体なぜだったのでしょうか?
保阪氏は、田中の生い立ちや人生観が、同世代の一般的な天皇観とは一線を画していたことが原因ではないかと推測しています。貧しい農家の出身で、苦学しながら政治の世界でのし上がった田中にとって、天皇は雲の上の存在というよりは、あくまで国家元首という認識だったのかもしれません。
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昭和天皇が目の当たりにした「異形の首相」
昭和天皇は、田中の内奏(天皇への非公式報告)に接し、これまでの首相とは異なる「異形の首相」を初めて見たと感じたのではないでしょうか。田中は、政策内容を詳細に説明するだけでなく、自らの政治理念や信念を率直に語ることもあったと言います。
政治学者の山田教授(仮名)は、次のように述べています。「田中は、天皇を政治利用することも厭わない大胆な政治家でした。これは、当時の自民党内でも批判の声があったほどです。」
ニクソンショック時の内奏に見る田中の真骨頂
元宮内庁長官の宇佐美毅氏によると、ニクソンショックの際の内奏で、昭和天皇は田中に対し「1ドル、360円で大丈夫かな」と質問したそうです。通常、このような質問には、政府の対応策や経済政策の概要を簡潔に答えるのが通例です。しかし、田中は独自の視点から、現状分析や今後の見通しなどを詳しく説明したと言います。
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これは、天皇の政治関与に対する懸念をよそに、自らの考えを率直に伝えようとする田中の姿勢の表れと言えるでしょう。また、経済政策に精通していた田中の自信の表れでもあったのかもしれません。
政治家・田中角栄の功罪
田中角栄は、型破りな政治手法で日本経済の高度成長を牽引しましたが、その一方で、金権政治の象徴として批判されることもありました。しかし、天皇を前にした異形の首相としての姿は、彼の政治家としての本質、そして昭和という時代を象徴する一つの側面と言えるでしょう。
彼の功績と罪過を冷静に見つめ、後世に伝えていくことが、私たちに課せられた使命なのかもしれません。