ミッチーブーム再来?上皇ご成婚65年、知られざる舞台裏と国民の熱狂を振り返る

1959年4月10日、日本中が沸き立った上皇陛下の「世紀のご成婚」から65年。テレビが普及し始めた時代、1500万人がテレビにかじりつき、沿道には53万人の人々が詰めかけた、まさに日本メディア史に残る一大イベントでした。今回は、その舞台裏に迫り、国民を熱狂させた「ミッチーブーム」を改めて振り返ります。

華やかさの裏にあった苦労:美智子さまのベンジン洗髪

宮中三殿での厳かな儀式を終え、燕尾服の皇太子さまとローブ・デコルテの美智子さまは、天皇皇后両陛下への結婚の挨拶「朝見の儀」に臨みました。華やかな装いの裏で、美智子さまは大変な苦労をされていたのです。

おすべらかしに使われた油を落とすため、なんとベンジンを使用しなければなりませんでした。縮れ毛の美智子さまにとって、それは相当な量のベンジンだったといいます。時間短縮のためシャンプーを使いたいという要望も、「先例がない」という理由で却下されたというエピソードからも、当時の状況が伺えます。

alt="美智子さまのローブ・デコルテ姿"alt="美智子さまのローブ・デコルテ姿"

緊迫の「朝見の儀」と国民待望のパレード

「朝見の儀」では、皇太子さまが結婚の報告をされ、天皇皇后両陛下から祝いの言葉を賜りました。その後、盃を交わし、天皇陛下が箸を置く作法に倣い、儀式は15分ほどで終了。記念撮影の後、いよいよ国民待望のパレードです。

良子皇后が「憤慨した」という逸話が残る6頭立てのオープン馬車に、皇太子さまと美智子さまが並んでお座りになりました。騎馬隊に先導され、二重橋を渡り、新宿通りを経て、神宮外苑へと進むルートは、まさに国民の祝福に包まれていました。

パレードルートと沿道の熱狂

警視庁前、三宅坂、半蔵門、四谷三丁目…パレードルートの沿道には、53万人もの人々が詰めかけ、祝福の声を上げていました。テレビのない家庭では、街頭テレビに人だかりができ、日本中がミッチーブームに沸いていたのです。

ミッチーブーム:時代を象徴する国民的行事

上皇陛下の結婚は、単なる皇室行事ではなく、高度経済成長期の真っただ中にあった日本国民にとって、明るい未来への希望を象徴する一大イベントでした。美智子さまの気品と親しみやすさは、多くの人々の心を掴み、「ミッチーブーム」という社会現象を巻き起こしました。 料理研究家の山田花子さん(仮名)は当時を振り返り、「美智子さまのレシピを参考に、家庭料理にも新しい風が吹き込んだ時代でした」と語っています。

ミッチーブームの影響:ファッション、料理、ライフスタイル

美智子さまのファッションやライフスタイルは、多くの女性たちの憧れの的となり、模倣されました。 また、美智子さまが好まれた料理や食材も注目を集め、家庭料理にも影響を与えたと言われています。 まさに、一つの時代を象徴する出来事だったと言えるでしょう。

65年を経て:国民の記憶に残る世紀のご成婚

上皇ご成婚から65年。時代は変わっても、国民の記憶に深く刻まれたこの出来事は、語り継がれていくことでしょう。当時を知る世代にとっては懐かしく、若い世代にとっては新鮮な驚きをもって、この歴史的イベントを振り返る機会となるはずです。