10月31日に焼失した那覇市の首里城で、正殿などに通じる「奉神門(ほうしんもん)」前の区画が4日、火災発生から初めて報道陣に公開された。周辺では現在も焦げた臭いが充満し、現場検証に当たる那覇市消防局と沖縄県警の関係者が頻繁に行き来するなど、火災発生に伴う緊迫した雰囲気をとどめていた。
「現場に行きたかったが、まだ現場検証中だということで入れなかった」
衛藤晟一沖縄北方担当相は4日の首里城視察後、記者団にこう述べた。衛藤氏が視察したのは、焼失した正殿、南殿、北殿が取り囲む「御庭(うなー)」という区画。御庭に通じる「奉神門」をくぐったところで足止めされ、御庭に足を踏み入れることはできなかったという。
報道陣に公開されたのは、奉神門の手前に広がる「下之御庭(しちゃぬうなー)」という区画だったが、奉神門越しに御庭の様子の一部が見えた。
焼失した正殿があった場所には建物の代わりに「那覇市消防局」と書かれた白いテントが張られ、その手前にはところどころにがれきが山積されていた。関係者によると、御庭では建物の場所ごとにがれきが整理されて積まれているという。首里城火災の焼失面積は4千平方メートル以上で、現場検証は4日になっても続いている。
奉神門の向こうには、正殿前に配置されていた「龍柱」の姿も確認できた。しかし、石造りの龍柱は真っ黒に変色しており、炎の激しさをうかがわせた。
火災前日は、今月2日に予定されていた伝統芸能「組踊」公演の準備が行われていた。焼失後の御庭には、普段は設置されていない照明設備のようなものが置かれたままとなっていた。
奉神門の屋根の一部は赤瓦が残っているものの、上部は焼け落ち、黒焦げた木組みがむき出しとなっていた。奉神門の向こう側に見える北殿の屋根に赤瓦は残っておらず、グチャグチャになってみえた。
下之御庭に面する「系図座・用物座」が県警、消防の休憩所となっており、出入りする関係者は疲弊した表情を浮かべていた。内閣府が県警・消防に報道公開を要請したところ、「何回いっても『絶対ダメだ』といわれた」という。