洋楽が大いに盛り上がっていた1970年代後半、「ミュージック・ライフ」をはじめとする洋楽専門誌では、硬派なロックバンドもけっこうアイドル歌手的な紹介のされ方をしていて、何となく違和感を覚えたものだった。
例えば77年にデビューした英バンド、ポリス。手練手管に長けた職人肌のミュージシャン3人がパンクロックのブームに便乗し「ロクサーヌ」(78年)や「見つめていたい」(83年)といったヒットで日本でもスターになったが、そんな彼らを紹介していた、とある雑誌に、楽曲づくりの中心を担うリーダーのスティング(ボーカル兼ベース奏者)の好きな食べ物が「リンゴ」と書いてあった。
当時「どうせ、誰かが適当に書いているんだろう」と思って真に受けなかったが、数十年後、それが本当だったと思い知らされることになろうとは…。
■ The Police 色が抜けた Sting、プログレ・ポップ…あの Englishman in New York、Fields of Gold
2008年12月、そのスティングが来日し、東欧ボスニア生まれのリュート奏者、エディン・カラマーゾフと共演し、16世紀の英国宮廷音楽を現代に甦(よみがえ)らせたのだが、その東京公演に際し、単独インタビューしたときのこと。
東京公演の会場だった渋谷オーチャードホールの楽屋に現れたスティングは、開口一番、「リンゴを一緒に食べながら話をしようか」。そう言うと、上着のポケットから小型ナイフを取り出し、持参したリンゴの皮を綺麗にむき、食べやすい大きさにカットしてお皿に載せて振る舞ってくれたのだった…。
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あれから11年ほど経った先月、来日した彼のステージを丸善インテックアリーナ大阪(大阪市中央体育館)で観た。約2年ぶりの来日公演だが、彼が皮をむいてくれたリンゴのことを思い出しながら、名曲の数々を大いに楽しんだ。
最近では、彼がポリスのベース奏者兼ボーカルだったことも良く知らない世代も増えている。実際、84年のポリスの活動停止を経て発表した85年のアルバム「ブルータートルの夢」以降、ソロ活動を精力的に展開。
来年で35年の節目を迎えるとあって、今年の5月には、ポリス時代の楽曲も含めたセルフ・カバー・アルバム「マイ・ソングス」を発表。ポリス時代を含む自身の代表曲の数々を今風に、そして自身の色を濃厚にしてアップデートさせた。
そんなわけで「孤独のメッセージ」で幕を開けたステージは、ポリスならではの硬質なロック色はほぼ皆無。ジャズとロックをスムーズに融合させた極めて上質のポップ曲と、中近東のような“第三世界”のビート(例えばポリスの特徴だったレゲエ)や空気感をまとったオリエンタルな色彩の名曲が満載…。