炎上からの生還:鈴木宗男氏が語る、バッシング対処法

ネット炎上は、時に人の心を深く傷つけ、取り返しのつかない悲劇さえ引き起こします。特に政治の世界では、支持者による反対派への攻撃が激化しやすい傾向があります。このようなバッシングの標的にされた時、どのように対処すべきでしょうか?今回は、かつて激しいバッシングを経験した参議院議員・鈴木宗男氏に、その対処法を伺いました。

バッシングの嵐の中で

2002年、鈴木氏は権力の渦中にいました。しかし、国際会議へのNGO代表の出席拒否問題への関与疑惑をきっかけに、一転してバッシングの嵐に巻き込まれます。メディアは連日「宗男の疑惑」を報じ、鈴木氏はまさに袋叩きの状態でした。

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「テレビをつければ『宗男の疑惑』、新聞を開けば『宗男の疑惑』。見るのも嫌になるほどでした」と鈴木氏は当時を振り返ります。精神的に追い詰められた鈴木氏はホテルに避難。夫の異変を察知した妻は、心中を案じ、同じ部屋に泊まり、寝る時には紐で腕を繋いで、一人にさせないようにしたといいます。

「強気のつもりでも、実際は『目が死んでいる』ように見えたのでしょう」と鈴木氏は語ります。当時の心境を「不信感でいっぱいだった」と表現しています。

政治家への攻撃は必ず跳ね返る

2002年6月、あっせん収賄容疑で逮捕された鈴木氏は、無罪を主張しましたが、最終的に有罪が確定。議員を失職し、1年間服役しました。

鈴木氏によると、バッシングは、疑惑が浮上する半年前、当時人気絶頂だった田中真紀子外務大臣への国会質問をきっかけに始まったといいます。

「田中氏への質問後、事務所には『何様だ』『田舎者』といった誹謗中傷のファックスが殺到しました。同じ文章が何枚も送られてくるなど、組織的な攻撃だった可能性もあります」

その後、田中氏が更迭されると、今度は鈴木氏への批判に転じたといいます。「人事権を持つ首相ではなく、私が批判の対象になった。これは参りました」と鈴木氏は語ります。

「政治家は攻撃すると、必ず跳ね返ってきます。SNSがなかった時代でも同じでした。これは肝に銘じておくべきです」と鈴木氏は強調します。

家族からの支え

ホテルに身を寄せた鈴木氏を支えたのは、妻だけではありませんでした。当時高校1年生でカナダに留学中だった娘・貴子氏(現衆議院議員)は、毎日「お父さん、権力と戦え!」「お父さんほど働いた人はいないんだから、自分の過去を否定するな」と励ましのメッセージをファックスで送っていたそうです。

「実は当時、海外で情報が少ない中、父親が窮地に立たされている娘を心配していました。自暴自棄になったらどうしようと案じていたのに、逆に娘から励まされ、それが私の気力の源になりました」と鈴木氏は語ります。

家族の支えが、バッシングの嵐の中で戦う鈴木氏の心の支えとなったのです。

炎上を乗り越えるために

鈴木氏の経験は、現代のネット炎上にも通じるものがあります。批判にさらされた時、冷静さを保ち、支えてくれる人に頼ることが重要です。そして、自らの信念を貫き、乗り越える強さを持つことが大切なのです。