【大洗町】茨城の小さな町で共存と葛藤 インドネシア人コミュニティの光と影

茨城県の大洗町。人口わずか1万5000人ほどの静かな港町で、異文化交流の温かい光と、不法滞在という影が複雑に交錯しています。今回は、地域産業を支えるインドネシア人コミュニティの現状と、共存への道のりを探ります。

なぜ大洗町にインドネシア人が?歴史と現状

大洗町には、外国人住民の約半数を占める500人以上のインドネシア人が暮らしています。一体なぜ、この小さな町にこれほど多くのインドネシア人が集まっているのでしょうか?

その歴史は、約35年前に遡ります。当時、遠洋漁業でインドネシア近海に赴いていた大洗町の漁師が、現地の女性と結婚し、大洗町へ帰郷したのが始まりです。その後、口コミで「仕事がたくさんある」と広まり、親戚や友人たちが次々と大洗町にやって来るようになりました。

大洗町の漁港風景大洗町の漁港風景

当時は入国管理も厳しくなく、日本人が敬遠する「3K」職場(きつい、汚い、危険)で働く労働力として、インドネシアの人々は重宝されました。こうして、最初の10年間で不法滞在のインドネシア人は2000人近くにまで増加したと言われています。

日系インドネシア人の誘致と新たな課題

1990年の入管難民法改正を機に、状況は変化し始めます。日系人の就労が認められるようになり、大洗町は地域産業の担い手として、インドネシア在住の日系二世を誘致する計画をスタートさせました。

NPO法人「茨城インドネシア協会」代表の坂本裕保氏(75歳)は、当時町長から依頼を受け、インドネシアで日系人を探し出す活動を行いました。坂本氏は、沖縄出身の漁師や、日本兵との間に生まれた子孫たちが多く暮らすマナド地方を訪れ、日本への渡航を希望する日系二世たちと出会います。

しかし、戸籍などの公的書類を持たない彼らにとって、日系人であることを証明することは容易ではありませんでした。坂本氏は、彼らの出身地である沖縄の離島まで足を運び、戸籍謄本を取得するなど、地道な努力を重ねました。

不法滞在問題と共存への模索

大洗町では、インドネシア人コミュニティの成長と共に、不法滞在の問題も深刻化しています。昨年7月には、町内のマンションで29人ものインドネシア人不法滞在者が摘発される事件が発生しました。

長年、大洗町で水産加工会社を経営する男性は、「昔はどこの会社も不法滞在者を雇っていた。日本人はやりたがらないから仕方なかった」と、当時の状況を語っています。

関係者の声と未来への展望

フードライターの山田花子氏(仮名)は、「多文化共生を進める上で、不法滞在問題の解決は避けて通れない課題です。行政、企業、そして地域住民が一体となって、外国人労働者の権利保護と適切な在留管理の両立を目指していく必要があります」と指摘しています。

摘発されたマンション摘発されたマンション

大洗町は、インドネシア人コミュニティとの共存という大きな課題に直面しています。文化交流の促進、不法滞在問題への対策、そして相互理解の深化。これらの取り組みを通して、真の多文化共生社会の実現を目指していくことが重要です。