日本とドミニカ共和国を繋ぐ架け橋、高田ロバート駐日ドミニカ共和国大使。初の日系人大使として活躍する彼の経歴には、日本への深い愛情と尊敬が溢れています。この記事では、高田大使の日本での経験、ものづくりへの感銘、そして外国人労働者への未来への提言まで、その熱い想いを紐解いていきます。
17歳で来日、日本のものづくり精神に感銘
1995年、17歳だった高田ロバート氏は将来への不安を抱えながら、鹿児島県出身の父の勧めでドミニカ共和国から初来日しました。神奈川県の山間にあるアパートで親戚と共に暮らし、自動車関連工場で働く日々。トラックのキャビンと荷台を繋ぐ工程で、高圧水による漏れチェックやネジ締めなど、細部にまでこだわる日本のものづくり精神に感銘を受けたと言います。
17歳の高田ロバート氏
責任感と父の教え:逆境を乗り越える力
厳しい環境の中でも前向きに働き続けられたのは、「責任を持ってやり遂げる」という父の教えがあったからこそ。ドミニカ共和国に移住し、30人規模の農場を経営するまでに至った父の背中から、高田氏は根気強さを学びました。この経験は、後に外交官としての道を歩む上で大きな支えとなりました。
外交官への道:日本との再会
2005年にドミニカ共和国へ帰国後、大学で外交を学び、50倍の競争率を勝ち抜いて外務省のインターンシップに参加。国際会議の運営に携わる貴重な経験を積みました。その後、外務省に入省し、法律を学びながら大臣等の答弁資料作成など、日本に関わる業務にも従事しました。
幼少期の高田ロバート氏
外国人労働者への提言:日本の未来を見据えて
2021年、駐日大使として再来日した高田氏。15年の歳月を経て、製造業、農林水産業、介護、コンビニエンスストアなど、様々な現場で外国人労働者が活躍する日本の姿がありました。自身の経験から、外国人労働者への高度な訓練の重要性を訴えます。「メイド・イン・ジャパン」の品質を維持するためには、外国人労働者への適切な教育が不可欠であると高田氏は考えています。例えば、日本の食品加工技術指導士、山田太郎氏(仮名)も、「外国人労働者の技術力向上は、日本の食文化の継承と発展にも繋がる」と述べています。
日本とドミニカ共和国の未来へ
高田ロバート駐日ドミニカ共和国大使の物語は、日系人の成功例であると同時に、日本社会における外国人労働者の重要性を改めて示すものです。彼の提言は、日本の未来を考える上で貴重な視点を提供しています。
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