「2人は睨み合い、ひと言も発しなかった」“日本一の右翼”と“伝説のヤクザ”がついに初対面…児玉誉士夫と稲川聖城の“関係”が深まったきっかけ


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 昭和最大の黒幕として、政界や経済界に絶大な影響力を誇った児玉誉士夫。7歳で母を亡くし、関東大震災で父を亡くして孤児となった児玉は戦前、中国・朝鮮半島で暗躍。戦後は自民党創設にも関わり、ロッキード事件で倒れるまで日本の政財界に影響を持ち続けた。

「事件の陰に児玉あり」と言われるほどの影響力があった児玉誉士夫とは、いったい何者だったのか。ここでは、児玉の生涯に迫った大下英治氏の著書 『児玉誉士夫 黒幕の昭和史』 (宝島社)より一部を抜粋。児玉誉士夫と、稲川会“伝説のヤクザ”稲川聖城の関係を紹介する。(全3回の2回目/ 3回目 に続く)

◆◆◆

「お待ちしておりました」児玉邸を訪れた稲川聖城

 ブザーを押した。

「どなたさまでしょうか」

 なかから、声がした。

「熱海の稲川です」

 稲川が名乗ると、「お待ちください」という声があり、しばらくして扉が開かれた。

 書生の案内によって、なかに足を踏み入れた。

 1000坪近い広さの敷地であった。芝生の庭のなかに、木造2階建が建っていた。左側だけが、平屋であった。応接間であろう。

 玄関に入ると、坊主頭の眼鏡をかけた別の書生が出ていた。稲川は、あらためて名乗った。

「稲川です。児玉先生に会いにきました」

「お待ちしておりました」

靴を脱いで上がると、殺気立った雰囲気を感じた

 太刀川の案内により、石段を2段のぼった。畳2畳ばかりある黒く磨き抜かれた瓦の敷き込みを通ると、木のドアが内側にひらいた。そこを入ると、やはり黒瓦を敷き込んだ三和土があった。入り組んだ造りであった。

 稲川は、靴を脱いで上がった。一瞬、殺気立った雰囲気を感じた。右手に、第2応接間があった。そこには、先日稲川に会いにきた岡村吾一と菊池庸介がひかえていた。



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