力道山。国民的英雄として、リング上で数々の伝説を築き上げたプロレス界の巨星。そして、児玉誉士夫。政財界の黒幕として、日本の裏側で暗躍した昭和のフィクサー。一見接点のない二人だが、実は知られざる関係があった。今回は、大下英治氏の著書『児玉誉士夫 黒幕の昭和史』(宝島社)を参考に、力道山と児玉誉士夫の意外な繋がりを紐解いていく。
“銀座の虎”町井久之と力道山の出会い
力道山と児玉誉士夫の接点は、新宿を拠点とする東声会(のちの東亜会)会長、町井久之の存在なしには語れない。在日韓国人である町井は、“ファンソ”(韓国語でオスの猛牛の意)という異名を持ち、韓国人社会で尊敬を集めていた。また、終戦直後の銀座で頭角を現し、“銀座の虎”の異名も持つ、まさに豪傑だった。
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町井は、わずか30人ほどの仲間と共に銀座に進出。その胆力と知略を武器に、瞬く間に1500人規模の大組織を築き上げた。そして、児玉誉士夫とも深い関係を築き、日韓国交正常化の舞台裏で共に暗躍した。韓国の朴正煕大統領とも親交があり、児玉と朴大統領の橋渡し役も担っていたと言われる。
町井は、児玉と共に岸信介、大野伴睦、河野一郎、川島正次郎といった、いわゆる韓国ロビーと呼ばれた政界の実力者たちと韓国とのパイプ役でもあった。そんな町井が、ある時、力道山を児玉の元に連れてきた。
力道山の素顔と児玉への依頼
町井は、力道山の乱暴な一面を児玉に打ち明けた。「力道山は酒癖が悪く、酔うと手がつけられない。児玉先生、何とか注意してください」と、困り果てた様子で頼み込んだという。 力道山は国民的英雄として知られる一方、酒に酔うと凶暴になるという噂もあった。リング上での激しい闘志とは異なる、意外な一面を覗かせていたのだ。
このエピソードからも、力道山と児玉誉士夫、そして町井久之という三人の関係性が垣間見える。当時の政財界、そして裏社会を理解する上で重要なピースと言えるだろう。 力道山の豪快なイメージとは裏腹な、人間味あふれる一面。そして、それを危惧した町井が児玉に相談する様子は、当時の力関係や人間模様を鮮やかに浮かび上がらせる。
昭和の闇を照らす、男たちの物語
力道山、児玉誉士夫、そして町井久之。三人の男たちの関係は、昭和という激動の時代を象徴する一つの断面と言えるだろう。 表舞台と裏舞台、光と影。様々な思惑が交錯する中で、彼らはどのような関係を築き、どのような道を歩んでいったのか。今後の展開に期待が高まる。