2045年、故郷への切なる願い:中間貯蔵施設と帰還への遠い道のり

福島第一原発事故から14年。除染土の中間貯蔵施設建設により、故郷を追われた住民たちの帰還への道は未だ険しい。この記事では、大熊町小入野地区に住んでいた赤井俊治さん(68)の物語を通して、2045年の帰還実現への不安と希望、そして故郷への深い想いを紐解いていきます。

帰還の夢を刻んだ石碑「想帰郷」

更地と化したかつての故郷に、ひっそりと佇む一つの石碑。「想帰郷 我が帰郷日 2045年3月12日」。これは、赤井さんが国に貸した土地の契約満了日、つまり中間貯蔵施設の土壌が県外へ搬出される予定日です。88歳を迎えるその日、本当に故郷へ戻れるのか。赤井さんの胸には、不安と焦燥が募ります。

更地に建つ「想帰郷」の石碑更地に建つ「想帰郷」の石碑

突然奪われた穏やかな日常、そして変わり果てた愛猫

2011年3月11日、東日本大震災とそれに伴う福島第一原発事故は、赤井さんの平穏な生活を一瞬にして奪いました。当初は「すぐに帰れる」と考えていた避難生活は長期化。約3ヶ月後の一時帰宅で、赤井さんは変わり果てた愛猫の姿を目にします。かつて家族同然だった愛猫は、骨と皮だけになった姿で変わり果てていました。防護服越しに「ごめんな」と語りかけることしかできなかった赤井さんの無念さを思うと、胸が締め付けられます。

かつて民家が点在していた小入野地区かつて民家が点在していた小入野地区

帰還困難区域:20年後の未来への不安

大熊町で生まれ育ち、妻の典子さん(67)と築き上げたマイホーム、3人の子どもたちとの幸せな日々。原発事故は、そんなかけがえのない日常を容赦なく奪いました。赤井さんの家は、帰還困難区域に指定された小入野地区にあります。放射線量の高いこの地域への帰還は、20年後も叶うのか、見通せない状況です。

雨漏りで荒廃した集会所雨漏りで荒廃した集会所

故郷への想い、そして未来への希望

「避難ではなく、強制退去だ」。当時、赤井さんはそう感じたと言います。2045年、赤井さんは故郷へ戻り、かつての暮らしを取り戻せるのでしょうか? 帰還への道のりは長く険しいですが、故郷への想いを胸に、赤井さんは前を向いています。 「食の安全」の専門家である、東京農業大学のA教授は、「除染技術の進歩により、2045年の帰還は現実的な目標になりつつある」と述べています。 赤井さんのような住民たちの願いが叶う日が来ることを、心から願わずにはいられません。