NHK「おしん」が放映された昭和58年、私はあるドラマのピンチヒッターを頼まれた。予定していた脚本家が心臓病の悪化で倒れたという。それが早坂暁だった。吉永小百合主演の名作「夢千代日記」を手がけた後だった。この時、病状はよくないと聞いたが、それから34年たった2年前に88歳で亡くなるまで書き続けた。生命力の強さだった。
四国、松山の旧制高校生たちの痛快譚「ダウンタウン・ヒーローズ」などの小説もあるが、本業はテレビドラマの脚本だろう。山田太一や向田邦子を代表とする家庭=ホームを軸にしたドラマが主流のなか、早坂はホームを持たない〈さすらいの人間〉に終生こだわった。その点では特異な存在だった。
本書にはこれまでの代表的なエッセーがまとめられている。どうやって作品を発想してきたのかがよくわかり、〈早坂暁の世界〉を知る最も優れた入門書になっている。
生家は愛媛・松山の遍路みちの前にあった商家。愛媛は瀬戸内海に面している。瀬戸内は向日的で穏やかな海だ。私は早坂の平易な文体に接すると瀬戸内の優しい波を思い浮かべる。幼い頃から人生のさまざまな事情を抱えた“お遍路さん”の姿を見て育った。このことが後に母親をモデルに描いた自伝的な「花へんろ」シリーズとなる。
海軍兵学校時代、原爆投下17日後の広島で、遺体を焼いた際に出る多数の青い燐光(りんこう)を見る。妹同然に愛した少女も原爆で亡くした。以後、あの夢千代を胎内被爆児に設定したように原爆投下の意味をドラマの中で何度も考えていくことになる。
渥美清との強い絆も興味深い。学生のころに浅草の銭湯で、まだ無名だった一つ上の渥美と知り合ってからその死までの交友がつづられる。
渥美といえば「男はつらいよ」だが、「寅さん」とは違う、クセ者でも奥の深い男を演じてほしかった。渥美もそれは自覚し、放浪の俳人、尾崎放哉(ほうさい)をやりたいと提案してきた。だが、病気などの事情で実現できなかった。
惜しいことである。(みずき書林・1800円+税)
評・小林竜雄(脚本家)