江戸時代の裁判記録から学ぶ、現代日本人の法意識のルーツ

現代日本社会における法意識の希薄さ、時に「法の支配」よりも「人の支配」が優先される風潮、そして「手続的正義」の軽視。これらの問題の根源はどこにあるのでしょうか? 本記事では、瀬木比呂志氏の著書『現代日本人の法意識』(講談社現代新書)を参考に、江戸時代の民事訴訟に関する実証的研究から、現代日本人の法意識のルーツを探ります。

江戸時代の裁判の様子を描いた絵画を想像してください。江戸時代の裁判の様子を描いた絵画を想像してください。

江戸時代の民事訴訟:歴史学者の実証的研究

戦後初期の法社会学では、江戸時代以前の日本社会を「前近代的」と捉え、近代法の論理とは異なる慣習を否定的に評価する傾向がありました。しかし、近世の村社会には、現代社会にも通じる積極的な側面も存在していたはずです。

そこで、江戸時代の裁判に関する歴史学者の実証的研究、特に渡辺尚志一橋大学名誉教授の研究成果(『武士に「もの言う」百姓たち──裁判でよむ江戸時代』、『江戸・明治 百姓たちの山争い裁判』、『百姓たちの水資源戦争──江戸時代の水争いを追う』、『百姓たちの幕末維新』〔以上、草思社文庫〕、『百姓の主張──訴訟と和解の江戸時代』〔柏書房〕、『百姓の力──江戸時代から見える日本』〔角川ソフィア文庫〕など)に注目します。これらの研究は、古文書に基づき個々の事件を丁寧に追跡することで、当時の訴訟の実態を鮮やかに浮かび上がらせています。

古文書が語る、江戸時代の裁判のリアル

渡辺教授の研究は、従来の法制史研究を補完し、具体化する意義を持つと言えるでしょう。例えば、水争いや山林の境界争いといった、当時の村社会で頻発した紛争の記録からは、百姓たちが自らの権利を守るため、積極的に裁判を利用していた様子が見て取れます。

裁判における百姓たちの積極的な姿勢

驚くべきは、百姓たちが単に泣き寝入りするのではなく、自らの主張を明確に伝え、時には幕府の役人に訴え出るなど、非常に積極的な姿勢を見せていた点です。「お上」の判断に委ねるだけでなく、自らの権利意識に基づき行動していたことが伺えます。

紛争解決における「和解」の重視

また、江戸時代の裁判では、判決によって白黒つけるだけでなく、「和解」による解決も重視されていました。これは、村社会の秩序維持という観点からも重要な役割を果たしていたと考えられます。法廷闘争ではなく、共同体の維持を優先する姿勢は、現代社会にも通じるものがあるかもしれません。

江戸時代の裁判制度と現代日本人の法意識

これらの研究成果から、現代日本人の法意識の形成に、江戸時代の社会構造や慣習が深く影響していることが示唆されます。「ムラ社会」特有の人間関係や、紛争解決における「和解」の重視といった要素は、現代社会にも脈々と受け継がれていると言えるでしょう。

例えば、「忖度」文化や、問題を公にすることを避ける風潮などは、江戸時代の「ムラ社会」における秩序維持のメカニズムと通底するものがあるかもしれません。

現代社会への示唆

江戸時代の裁判記録を紐解くことで、現代日本人の法意識の根底にあるものを理解し、より良い社会を築くためのヒントを得ることができるのではないでしょうか。過去の事例を学ぶことは、未来への羅針盤となるはずです。