東日本大震災、そして福島第一原発事故。この未曾有の災害は、福島の人々の心に深い傷跡を残しました。福島市で高校教師として働く中村晋さんは、俳句を通してこの現実と向き合い、未来への希望を紡いできました。生徒たちと共に句作を通じて記憶や思いを共有してきた中村さんですが、震災当時の記憶を持たない生徒が増えるにつれ、新たな表現方法を模索し始めました。震災から14年、俳句の力で福島の記憶を未来へ繋ぐ、中村さんの挑戦を追います。
生徒の言葉が突きつけた現実
2011年5月、震災から2ヶ月後の福島工業高校定時制の教室。授業の冒頭、中村さんが「原発が心配だね」と口にした瞬間、一人の男子生徒が「原発なんて爆発したらいいんだ」と呟きました。怒りを覚える一方で、中村さんはその生徒が原発事故についてインターネットで調べていることを知っていました。「どうしてそう思うんだ?」と問いかけると、生徒は「今のままでは避難もできない。いっそのこと、爆発すれば逃げる理由ができる」と答えました。
福島第一原子力発電所の廃炉作業の様子(2024年11月、読売ヘリから)
当時、福島市は避難指示区域に含まれていませんでしたが、情報も少なく、不安が広がっていました。ホットスポットの存在も徐々に明らかになりつつありました。生徒の言葉は、避難の必要性を感じながらも、明確な「理由」がない故に行動に移せない人々の葛藤を映し出していました。
家族の安全と「自主避難」の決断
原発事故後、多くの住民が自主避難を選択しました。「逃げる理由」と「逃げない理由」の間で揺れ動く人々。中村さん自身も、妻と幼い長男の安全を案じ、葛藤していました。教師として福島に残る決意は固いものの、家族を守るにはどうすれば良いのか。
原発事故後、中村さんが学校の放射線測定器で福島市内を測定した時の様子(0.205マイクロシーベルト毎時を示している)
男子生徒の言葉が心に響き、中村さんは6月に妻子を県外へ自主避難させることを決断しました。「俳句研究の第一人者であるA先生も、言葉の持つ力は計り知れないと仰っています。あの時の生徒の言葉は、私にとって大きな転機となりました」と中村さんは振り返ります。
中村さんが教壇から生徒に話しかけている様子
俳句で伝える福島の記憶と未来
震災から14年。風化していく記憶を未来へ繋ぐため、中村さんは俳句を通して新たな試みを始めています。それは、生徒たちとの対話を通して生まれた、福島の現実をありのままに伝える表現方法です。俳句という短い言葉の中に、福島の記憶と未来への希望を込め、次世代へと語り継いでいく。中村さんの挑戦は、これからも続きます。