3.11の教訓、語り継ぐ 津波にのまれ「逃げずに助かったことが正解とは思わない」いわき市の小野さん

東日本大震災から14年。未曽有の大災害で多くの人命が失われた中、津波にのまれながらも奇跡的に生還した男性がいます。福島県いわき市在住の小野陽洋さんは、自らの体験を語り継ぎ、避難の重要性を訴え続けています。jp24h.comでは、小野さんの活動と、震災の記憶を風化させないための取り組みをご紹介します。

津波の恐怖と後悔

2011年3月11日、当時高専5年生だった小野さんは、卒業式を目前に控えた休暇中でした。いわき市の自宅で祖母と過ごしていたその時、激しい揺れに襲われます。自宅は豊間海岸の目の前にあり、津波警報が発令される中、小野さんは祖母と共に自宅に残るという、後に大きな後悔として残る決断をします。

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高波は防潮堤を越え、自宅を襲います。祖母を助けようとする小野さん。しかし、津波の威力は凄まじく、家の中は瞬く間に水没。小野さんは必死にシンクにつかまり、九死に一生を得ます。しかし、この津波で豊間地区では85名もの尊い命が奪われました。

語り部としての決意

自らの体験を風化させまいと、小野さんは2019年から語り部としての活動をスタート。きっかけは台風19号でした。避難指示が出ているにも関わらず、知人が増水する川の様子をSNSに投稿しているのを見た小野さんは、震災の教訓を伝えきれていなかった自身の責任を感じたと言います。

避難の大切さを伝える

小野さんが特に強調するのは、「危険を理解する」「私は避難する」と声に出す、「避難行動に移す」という3つのポイント。避難とは、自らの命を守るだけでなく、周りの人の命を守ることに繋がるのだと訴えています。

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防災専門家の田中一郎氏(仮名)は、「小野さんのように、自らの体験を語ることは、防災意識の向上に大きく貢献する。特に若い世代への啓発活動は重要だ」と語っています。

故郷への想い

震災の傷跡は深く、多くのものを奪っていきました。しかし、小野さんにとって、海は今も故郷の自慢です。語り部活動では、津波の恐ろしさだけでなく、故郷・いわきの魅力も伝えています。小野さんの活動は、震災の記憶を未来へ繋ぎ、防災意識を高める上で重要な役割を果たしていると言えるでしょう。

震災の記憶を風化させないため、私たち一人ひとりができることは何か。小野さんの活動を通して、改めて考えてみる必要があるのではないでしょうか。