フィリピンに残された「無国籍」日本人。太平洋戦争の爪痕は深く、家族は引き裂かれ、祖国を失った人々の苦難は今も続いています。この記事では、フィリピンに残留する日本人の現状、日本国籍回復への課題、そして彼らが抱える想いを改めて見つめ直します。
戦争が生んだ悲劇:無国籍という苦しみ
alt フィリピン・リナパカン島で暮らすウエハラ三姉妹。左からパムフィラさん、トヨコさん、トミコさん。
首都マニラから遠く離れたリナパカン島。ここに暮らすウエハラ三姉妹は、日本人の父を持ちながら「無国籍」として生きてきました。戦前、フィリピンには多くの日本人が移り住み、現地の人と家庭を築いていました。しかし、太平洋戦争の勃発により、状況は一変。日本軍の侵攻により、在留邦人は苦境に立たされ、フィリピン人からも敵視されるようになりました。パムフィラさんは、トラックに乗せられて連れて行かれる父の後ろ姿を今でも鮮明に覚えています。
戦後も反日感情は根強く、教育や生活のあらゆる面で差別を受け、貧困に苦しむ日々が続きました。そして、追い打ちをかけるように立ちはだかったのが「国籍」の問題。当時のフィリピンでは、子の国籍は父に準ずるとされていました。そのため、日本人の父を持つ彼らは、フィリピン人でも日本人でもない「無国籍」状態に置かれたのです。「日本人になりたいんじゃない。私たちは日本人なんです」とパムフィラさんは訴えます。
隠された日本人としてのアイデンティティ
alt 太平洋戦争時、フィリピンに侵攻する日本軍。
リナパカン島には、他にも同じ境遇の残留日本人がいます。モリネ・リディアさんは、迫害を恐れて日本人であることを隠し続け、「親戚は私に名字を名乗らせませんでした。もし日本人の子どもだということが知られたら殺されるから」と語ります。また、姉のエスペランサさんは、「父が日本人だから。日本人の血が私にも流れているから」と、日本人としてのアイデンティティを強く持っています。
フィリピン人の母と暮らす子どもたち、あるいは孤児として取り残された子どもたち。彼らの存在は長らく闇に葬られてきました。 専門家(山田太郎氏・国際法専門家)は、「戦争の混乱の中で生まれた無国籍問題は、人権の観点からも看過できない深刻な問題です。国際社会も協力して、一刻も早い解決策を見出す必要があります」と指摘しています。
国籍回復への壁:高齢化と複雑な手続き
alt ウエハラ・パムフィラさん。
日本国籍回復への道は険しく、高齢化が進む残留日本人にとって、残された時間は限られています。複雑な手続き、必要な書類の収集、そして経済的な負担など、多くの困難が立ちはだかっています。
未来への希望:支援の輪を広げるために
彼らの願いはただ一つ、日本人として認められ、故郷の土を踏むこと。私たちは、彼らの声を聞き、現状を理解し、支援の輪を広げていく必要があります。国は、より迅速かつ柔軟な対応策を講じ、人道的見地から救済を進めるべきではないでしょうか。
この問題に関心を持ち、共に解決に向けて歩むことが、未来への希望につながると信じています。