高市早苗首相の知られざるルーツ:愛媛が育んだ政治家の片鱗

「高市早苗、奈良の女です。ヤマトの国で育ちました」――9月の自民党総裁選の候補者所見発表演説会でのこの言葉から、高市早苗首相には奈良のイメージが強く定着しています。しかし、その知られざるルーツが愛媛県にあることは、あまり広く知られていません。ノンフィクション作家の甚野博則氏が月刊「文藝春秋」2025年12月号で、初の女性宰相である高市首相の人間力を深掘りし、その家族の起源を愛媛、奈良、大阪にわたって探っています。

奈良のイメージを覆す愛媛の家族背景

高市首相の父である大休氏と母の和子氏は、共に愛媛県松山市の出身です。首相自身も今年7月の愛媛での街頭演説で、「毎年愛媛県で夏休みを過ごしました」と語っており、幼少期から愛媛との深いつながりがあったことが伺えます。甚野氏の取材によれば、高市家は首相の曽祖父の代まで、松山市の南側に位置する松前町で庄屋を務め、地域一帯を統括していたという歴史を持っています(『松前町誌』1979年)。この事実は、彼女の家系が地元愛媛に根差した由緒ある家柄であることを示しています。

幼少期のエピソードに見る政治家の萌芽

高市首相は、親戚が多く住む松山に幼い頃から何度も足を運んでいました。記事では、親族が明かす小学6年生の頃のエピソードが紹介されており、その振る舞いは「政治家の片鱗」を感じさせるものでした。従姉の結婚式での出来事です。祝辞を述べるために壇上に上がった父親の大休氏が、緊張のため言葉に詰まってしまった際、早苗氏が自ら壇上へ進み出て、「父に代わって私がお祝いの言葉を述べさせていただきます」と堂々と宣言したといいます。この時の周囲の反応は「みんな『え!』っていう感じですよ」というもので、親族は「当時からしっかりしていました。ちょっと異質やったですね」と振り返っています。

高市早苗首相の中学校時代の卒業アルバム写真高市早苗首相の中学校時代の卒業アルバム写真

親族が語る「静かなる応援」

今回の高市首相の就任を、親族たちはどのように見ているのでしょうか。別の親族は、「うちはきょうだいやその子供もようけおる。けど、誰も早苗、早苗言うのおれへんで。ちょっとくらいみんな喜んでやればええのにと思うけどな。せやけど、それがええんや、早苗には。そっとしといてやったらな。陰ながら応援しています」と語っています。これは、公の場で大騒ぎすることなく、静かに、そして深く高市首相を支える家族の絆と愛情が感じられる言葉です。彼らにとって、彼女が首相になったことは大きな喜びであると同時に、そっと見守るべき大切な存在であるという思いが込められています。

高市早苗首相のルーツを深く掘り下げるこのルポは、彼女がどのような家庭環境で育ち、いかにして現在の強固な人格が形成されたのかを知る上で貴重な洞察を与えてくれます。この「女性宰相・高市早苗」の人間像に迫る詳細は、月刊「文藝春秋」2025年12月号、およびそのウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載された甚野博則氏のルポ「総力特集・高市早苗総理大臣の人間力 家庭的な父と働く母の愛娘」で読むことができます。