麻原彰晃の血を信者に飲ませ、風呂の残り湯を販売、毒ガスと合成麻薬を密造し果ては軍用ヘリ購入まで…オウム真理教の暴走が止まらなくなった“決定的理由”


【画像】不肖・宮嶋が撮影し続けた“オウム真理教の狂気”を写真で一気に振り返る

 1995年3月20日に地下鉄サリン事件が発生して今年で30年。不肖・宮嶋は1989年坂本弁護士一家殺害事件直後、オウム真理教の総本部で取材を行い、その後、数々の嫌がらせに悩まされることになる。そして教団の“暴走”はあることをきっかけに止まらなくなり……。(全4回の3回目/ ♯1 、 ♯2 、 ♯4 を読む)

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心証真っ黒なのに捜査に踏み込めぬ地元警察の無念

「あんたらも、なんで中まで拉致されてくれなかったの? そうすれば我々も中に踏み込めたのに……」

 と刑事の言葉の裏には、心証真っ黒なのに捜査に踏み込めぬ地元警察の無念さが読み取れた。そして地下鉄サリン事件後の強制捜査やそれにつづくオウム幹部の取り調べから恐ろしい事実も判明した。

 私が麻原はじめオウムと初めて対峙したこの日のちょうど1週間前、新實智光や岡崎一明そして中川智正、村井秀夫、早川紀代秀、端本悟ら6人の信者は麻原の命令で、横浜の坂本弁護士の自宅に侵入、就寝中だった坂本弁護士を絞殺したばかりか、わずか1歳だった長男・龍彦ちゃんの命乞いをする都子さんも絞殺。騒ぎに気づき、泣き始めた龍彦ちゃんの口鼻を押さえ窒息死させ、その遺体を富士宮総本部に運び込んでいたのだ。

殺害後の遺体を処理したばかりだった新實ら

 あの新實、岡崎の異常な興奮と地元警察に対する怒りは、なぜ週刊誌がその直後に現れたのか、あせりの表れやったのである。新實が強がってピースサインをかました細い指は、その直前1歳の龍彦ちゃんの口鼻を押さえて殺した指やったのである。

 これ以降は私はオウムを生涯の敵として、共に天を戴かぬ決意を固めたのであった。



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