地下鉄サリン事件から2日後の1995年3月22日、警視庁はオウム真理教関連施設への一斉捜索を開始しました。中でも最重要拠点とされたのが、教祖・麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚が潜伏し、サリン製造プラントが存在した山梨県上九一色村(当時)の教団施設でした。あの緊迫した捜査の舞台裏には、一体何があったのでしょうか?本稿では、当時の捜査関係者の証言を基に、事件の真相に迫ります。
地下鉄サリン事件発生当時、警視庁捜査一課理事官だった山田正治氏(84)は、強制捜査の打ち合わせの最中に事件発生の一報を受けました。サリン使用の可能性が浮上し、直ちに科学捜査研究所に原因物質の解明を指示。前年の松本サリン事件の捜査で、教団によるサリン原材料の購入と、上九一色村周辺でのサリン残留物の検出が既に確認されていたのです。警察庁は各県警と協議を進めていましたが、事件発生のなかった警視庁は当時まだ捜査に加わっていませんでした。
教団の影:都内で相次ぐ不可解な事件
1995年1月4日、東京・港区で「オウム真理教被害者の会」会長の永岡弘行さんがVXガス攻撃を受け重体となる事件が発生。山田氏は直ちに病院へ赴き医師に確認するも、原因不明との回答。決定的な証拠がなく、この時点では教団への捜査は難航しました。後に強制捜査と実行犯の逮捕により、教団の犯行と断定されましたが、当初は農薬に似た成分が検出され、自殺未遂と見なされていたのです。
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2月末には、東京・品川区で妹の脱会を図っていた仮谷清志さん監禁致死事件が発生。3月中旬、犯行に使用されたレンタカーの契約書から信者の指紋が検出され、教団犯行の証拠が固まりました。
隠された真実:上九一色村強制捜査
上九一色村の強制捜査は、異様な雰囲気に包まれていました。教団施設は広大で、信者たちは捜査を妨害しようと様々な工作を仕掛けました。
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捜査の進展と教団の崩壊
一斉捜索は長期に渡り、サリン製造プラントや化学物質、武器などが次々と発見されました。そして、ついに麻原元死刑囚が隠し部屋から発見、逮捕。教団の悪行は白日の下に晒され、その後の捜査で数々の事件への関与が明らかになりました。
地下鉄サリン事件は、日本の安全神話を揺るがす大事件でした。上九一色村強制捜査は、その真相解明への重要な一歩であり、事件の記憶を風化させないためにも、語り継いでいかなければならない出来事です。
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