いしだあゆみさん死去、韓国でも愛された「ブルー・ライト・ヨコハマ」の軌跡

いしだあゆみさんの訃報を受け、日本のみならず韓国でも多くのファンが悲しみに暮れています。彼女の代表曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」は、1970年代から80年代にかけて韓国でも爆発的な人気を博し、世代を超えて愛されてきた名曲です。今回は、韓国における「ブルー・ライト・ヨコハマ」の軌跡と、その人気の秘密に迫ります。

韓国で生まれた「ヨコハマ」ブーム

第44回NHK紅白歌合戦で「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌ういしだあゆみさん第44回NHK紅白歌合戦で「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌ういしだあゆみさん

当時、日本の歌謡曲は公式には韓国で解禁されていませんでしたが、「ブルー・ライト・ヨコハマ」は海賊版を通じて若者たちの間で急速に広まりました。ソウルの繁華街の音楽喫茶では、リクエストが殺到するほどの人気だったといいます。当時DJをしていた韓国人女性によると、「おそらく韓国で初めて大ヒットした日本の歌ではないか」とのこと。夜の街では「ヨコハマの歌」として親しまれ、多くの人が口ずさむようになりました。

なぜ韓国で愛されたのか?

「ブルー・ライト・ヨコハマ」のメロディーは、どこか懐かしく、異国情緒あふれる横浜の情景を彷彿とさせます。当時、海外旅行が容易ではなかった韓国の人々にとって、この曲は憧れの象徴でもあったのでしょう。また、いしだあゆみさんの歌声も、韓国の人々の心に響くものがあったようです。韓国の音楽評論家、パク・ソンホ氏(仮名)は、「彼女の歌声は、優しく包み込むような温かさがあり、韓国の情緒にも通じるものがあった」と分析しています。

「恋人よ」そして「釜山港へ帰れ」へ

「ブルー・ライト・ヨコハマ」に続き、五輪真弓さんの「恋人よ」も韓国でヒットしました。しかし、「恋人よ」は歌唱難易度が高く、カラオケで気軽に歌うのは難しかったようです。一方、日本では韓国演歌「釜山港へ帰れ」が大ヒット。1988年のソウルオリンピックを控えた80年代は、日韓の音楽交流が盛んに行われた時代でした。

時代を超えて愛される名曲

「ブルー・ライト・ヨコハマ」は、韓国で日本の歌謡曲ブームの火付け役となり、その後の日韓文化交流にも大きな影響を与えました。いしだあゆみさんの訃報は、韓国でも大きなニュースとして報じられ、多くの人が彼女の功績を偲んでいます。時代を超えて愛される名曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」は、これからも日韓の架け橋として歌い継がれていくことでしょう。