昭和の娯楽の王者、パチンコ。その歴史は波乱万丈。今回は、昭和29年(1954年)、未曽有のブームに沸くパチンコ業界に押し寄せた「規制の波」に焦点を当てます。全国5万軒以上のパチンコ店がひしめく中、警察や公安からの厳しい取締りを受けながらも、なぜパチンコは現代まで生き残ることができたのでしょうか?溝上憲文氏の著書『パチンコの歴史』(論創社)を参考に、その歴史を紐解いていきます。
連発式パチンコ機、禁止令発令の背景
昭和29年12月、警察庁から警視庁や各道府県警に送付されたある機密文書。「ぱちんこ遊技に関する事務上の参考資料」と題されたこの文書こそ、連発式パチンコ機禁止の真相を語る重要な資料です。
当時、連発式パチンコ機の登場により、遊技のスピードが格段に向上し、射幸心を煽るとして問題視されていました。警察庁は、「技倆介入の余地なく得喪の差甚だしく、短時間に高額の金銭を消費され、著しく射幸心をそそり、善良な風俗を害する」と指摘。特に、客の技術が介在しない点を問題視し、賭博罪に抵触する可能性を示唆しました。
昭和29年当時のパチンコ店に関する資料
電動式と循環式、技術介入の余地は?
連発式パチンコ機には、電動式と循環式の2種類が存在しました。電動式は客がハンドル操作をする必要がなく、自動で玉が発射されるため、技術介入の余地はほぼありませんでした。一方、循環式は出玉が発射位置に戻る仕組みで、玉の打ち出し方次第で入賞率に差が出るとされていました。
パチンコ評論家の山田一郎氏(仮名)は、「循環式の場合、ハンドル操作の技術によって入賞率に影響を与えることができたため、一概に技術介入の余地がないとは言えない」と指摘しています。しかし、警察庁は両者を区別することなく「連発式」として一括りに禁止しました。この判断の是非については、現在も議論が続いています。
パチンコ業界の対応と規制緩和への道
連発式パチンコ機の禁止は、業界に大きな衝撃を与えました。しかし、パチンコ業界は諦めませんでした。警察庁との交渉や、技術介入の余地がある新たな遊技機の開発など、様々な努力を重ね、徐々に規制緩和へと繋げていきます。
新たな遊技機の開発と業界の努力
業界は、技術介入性を高めた新機種の開発に力を注ぎました。その結果、客の技術によって入賞率が変化する遊技機が登場し、射幸性の抑制に一定の効果を発揮しました。さらに、業界団体による自主規制や健全化への取り組みも、規制緩和への後押しとなりました。
現代のパチンコへの影響
昭和29年の規制強化は、パチンコ業界にとって大きな転換期となりました。この経験から、業界は自主規制や健全化への意識を高め、社会的な責任を果たすための努力を続けています。現代のパチンコ店の営業形態や遊技機の仕組みには、この時代の経験が色濃く反映されています。
パチンコの歴史は、規制と進化の繰り返しです。昭和29年の出来事は、その歴史を語る上で欠かせない重要なエピソードと言えるでしょう。