日本文化開放巡り葛藤 桂銀淑さんショーで 韓国外交文書


【写真特集】日韓国交正常化(1965年) 

 日本の大衆文化の段階的開放が始まったのは4年後の98年。国民感情を刺激しかねないとの懸念もある中、韓国政府が葛藤を抱えていた様子が浮き彫りになった。

 外交文書によると、日本の旅行大手JTBが94年2月にソウルのホテルで、日本でも人気だった韓国人歌手、桂銀淑さんのディナーショーを開くことを計画。日本人観光客800人を対象にしたもので、韓国政府に日本語での歌唱を許可するよう求めた。

 当時の駐日韓国大使は、日本人に限定した行事のため「(韓国)国民への否定的な影響はない」として、許可を検討するよう本国に要請。韓国外務省内では、95年の国交正常化30周年を前に「韓日関係の発展に向け、日本の大衆文化の開放問題を本格的に検討する時期が来ている」という肯定的意見があった。

 一方で韓国政府には、日本文化が「脆弱(ぜいじゃく)な(韓国の)大衆文化産業の脅威になる」という認識もあった。このため日本語歌唱が「日本文化自由化の先例となる」「反日感情を刺激する」といった慎重意見も出た。

 最終的に日本語で歌う曲数を制限し、韓国の歌謡曲も歌うという条件でショーは許可された。日本の大衆文化開放は98年、当時の小渕恵三首相と金大中大統領が署名し、未来志向の関係構築をうたった日韓共同宣言に盛り込まれた。 



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