辺境の地ロシアが巨大帝国へと変貌を遂げた驚きの理由とは?【地図で読み解く世界史】

ロシア。今でこそ広大な領土を誇る大国ですが、かつては寒く厳しい辺境の地でした。一体どのような経緯で「大帝国」へと変貌を遂げたのでしょうか?この記事では、地図を紐解きながら、ロシア帝国の成り立ちを分かりやすく解説します。交易、外交、戦争など、様々な出来事が複雑に絡み合い、歴史が紡がれていく様子を、地図を通して見ていきましょう。現代社会を読み解くための基礎教養として、世界史を学び直してみませんか?

モンゴルの支配とモスクワの台頭

13世紀、モンゴルの遠征によってキエフ・ルーシは崩壊し、ロシアはモンゴルの支配下に置かれました。しかし15世紀、モスクワを拠点とするモスクワ公国が、ジョチ・ウルス(モンゴル帝国の一部)の徴税請負を通して力を蓄え、イヴァン3世の時代に独立を達成。これがロシア統一の始まりであり、モスクワ大公国、またはモスコヴィアと呼ばれる国家の誕生です。

モスクワのクレムリンモスクワのクレムリン

16世紀末には後継者争いをきっかけに「動乱時代」と呼ばれる混乱期に突入しますが、ミハイル・ロマノフがツァーリに即位し、ロマノフ朝が誕生することで混乱は収束に向かいます。

ロシアを変えた二人の名君:ピョートル大帝とエカチェリーナ2世

ロマノフ朝には、ロシア帝国の礎を築いた二人の名君が登場します。

ピョートル大帝による西欧化と大北方戦争

一人はピョートル1世、通称ピョートル大帝です。彼は西欧に遅れをとっていたロシアの近代化を推進し、自ら西欧諸国を視察して改革を行いました。バルト海への進出を目指し、スウェーデンとの大北方戦争(1700~1721年)に勝利。バルト海への足掛かりを築き、サンクト・ペテルブルクを建設、遷都しました。これらの功績により、ロシアは列強の一員として認められるようになります。1721年には皇帝を意味する「インペラトル」の称号を名乗り、ここにロシア帝国が誕生しました。

エカチェリーナ2世による啓蒙思想と領土拡大

もう一人は、エカチェリーナ2世です。ドイツ出身の彼女は、夫ピョートル3世をクーデタで排除し帝位に就きます。啓蒙思想をロシアに導入し、オスマン帝国との戦争に勝利してクリミア半島を併合。さらにプロイセン、オーストリアと協力し、ポーランドを分割しました。

歴史学者である田中教授(仮名)は、「エカチェリーナ2世の治世は、ロシアの領土拡大と国際的地位の向上に大きく貢献したと言えるでしょう」と述べています。

18世紀末のヨーロッパ情勢

ピョートル大帝とエカチェリーナ2世の功績により、ロシアは列強の一角を占めるようになりました。18世紀末には、プロイセン、オーストリア、ロシアといった東欧の新興国と、イギリス、フランスを加えた五大国がヨーロッパの勢力均衡を担うようになります。しかし、ロシア国内では農奴制が強化され、農民の生活は苦しいものでした。

まとめ:巨大帝国への道のり

ロシアは、モンゴルの支配、モスクワ公国の台頭、ロマノフ朝の二人の名君による改革と領土拡大を経て、巨大帝国へと変貌を遂げました。この記事を通して、複雑な歴史的背景を理解する一助となれば幸いです。ぜひ、ご自身の学びを深めてみてください。

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