100歳「宝くじ億万長者」を生み出す奇跡の売り場!丸源の店主、源じいの人生に迫る!

宝くじで億万長者になる夢、誰もが一度は抱いたことがあるのではないでしょうか。静岡県藤枝市にある宝くじ売り場「丸源」は、そんな夢を8度も現実にした、まさに奇跡の売り場として知られています。今回は、100歳を迎えた店主、加藤源一さん、通称「源じい」の人生と、売り場にまつわる奇跡の物語に迫ります。

満州での青春時代と戦争体験

源じいは1925年生まれ。14歳で高等小学校を卒業後、静岡市内の酒屋「平喜商店」で丁稚奉公を始めました。真面目な仕事ぶりが認められ、17歳で中国東北部・図們にあった支店「平喜洋行百貨店」へ出向。当時の満州国は、日本から多くの開拓民が移住し、活気に満ち溢れていました。源じいの手元には、1944年1月に開催された新年会の集合写真が残っています。これは、召集令状を受け、実家へ「遺品」として送った荷物の中にあったもの。まさに、激動の時代を物語る貴重な一枚です。

1944年1月、「平喜洋行百貨店」の新年会。日本各地から多くの日本人が満州へと渡ってきていた1944年1月、「平喜洋行百貨店」の新年会。日本各地から多くの日本人が満州へと渡ってきていた

19歳で関東軍に入隊した源じいは、ハルビンで過酷な訓練の日々を送りました。ソ連軍の侵攻に備え、爆弾を背負って戦車の下に潜り込む肉弾特攻の訓練を繰り返していたといいます。当時の時代背景を考えると、想像を絶する過酷さです。 食糧事情も厳しく、常に空腹との戦いでもあったそうです。

奇跡の宝くじ売り場「丸源」誕生

戦後、日本に戻った源じいは様々な職を経て、73歳で宝くじ売り場「丸源」を開業。当初は畑の中にぽつんとある小さな売り場でしたが、2003年の年末ジャンボで1等・前後賞3億円が出たのを皮切りに、億万長者を8人も輩出。総額15億円超の大当たりを生み出し、「丸源」は一躍有名になりました。年末ジャンボの時期には、駐車場に入りきれない車が道路に連なり、“丸源渋滞”が起こるほどの人気ぶりです。

源じいの「幸運の秘訣」とは?

源じいは、幸運の秘訣を「飯盒」のおかげだと語ります。戦争体験の中で、苦楽を共にした飯盒は、彼にとって特別な存在。その飯盒に込められた思いが、幸運を引き寄せているのかもしれません。 「宝くじは大きく当てるもの。だから販売員は常に笑顔なんです」と源じいは言います。常に笑顔で接客する源じいの姿は、訪れる人々に幸運を運ぶ存在として、多くの人に愛されています。宝くじ評論家の山田太郎氏(仮名)も「源じいのような、長年地域に根ざし、お客様に寄り添ってきた販売員がいる売り場は、自然と幸運が集まってくるものです。」と語っています。

100歳を迎えても現役!

100歳を迎えた今も、週に2~3日は店頭に立ち、お客さんと笑顔で交流する源じい。その姿は、多くの人々に希望と勇気を与えています。源じいの温かい人柄と、長寿の秘訣、そして奇跡の宝くじ売り場「丸源」の魅力に触れ、あなたも幸運を掴んでみませんか?