70代になり一人暮らしをしている今、介護の経験を通して感じたこと、そして今の生活について綴りたいと思います。介護は大変なことも多いですが、それ以上に多くの学びを与えてくれる貴重な経験でした。
認知症と介護の現実
知人の祖母が亡くなり、介護をしていた彼女の母親、そして家族がようやく安堵の息をついたという話を聞きました。認知症の介護は想像以上に大変なものです。寝たきりになると、認知症の症状が悪化し、罵声を浴びせるようになるケースも少なくありません。知人の祖母もそうでした。おむつ交換などの介護をしている娘に、容赦なく悪口雑言を浴びせ、深夜もそれが続くという状況だったそうです。
介護のイメージ写真
長期入院できる病院や施設を探すもなかなか見つからず、医師が処方する薬も効果がなかったとのこと。父親は罵声に耐えかねてアパートに引っ越し、娘もひどい夜には父親の元に身を寄せていたそうです。母親だけが、一人で祖母の罵声に耐えながら介護を続けていたというのです。この話を聞き、介護の現実に胸が締め付けられる思いでした。
私の母の入院生活
私の母も認知症でしたが、幸いにも罵声を浴びせることはありませんでした。意識不明の状態になり一般病院に入院。その後、嚥下機能が低下し、ゼリー状のものしか食べられなくなったため、介護施設を探すことになりました。
病院のイメージ写真
心臓の機能も低下していたものの、ベッドの柵を揺するほど元気だったため、いくつかの介護施設からは入居を断られてしまいました。ようやく、認知症と身体の病気を持つ人を受け入れる療養型の病院に母を入院させることができました。
4人部屋での出来事
母は4人部屋に入院しました。母は90代、他の3人は80代くらいでした。私が面会に行くと、他の3人は私を自分の娘だと勘違いしました。一人は「そんなに来なくてもいいのよ」と笑顔で言い、もう一人は「あなたは元気なの?外は寒いでしょ」と季節外れの言葉をかけられました。
しかし、母の隣のベッドの女性は違いました。「この売女!何しに来た!お前なんかくたばれ!近寄るな!バカヤロー!」と、激しい罵声を浴びせてきたのです。
私は父も兄も江戸っ子気質で短気なタイプだったので、罵声には慣れていたため、「はいはい、売女でございます」と返し、母のベッドに向かいました。すると母は「妹が来た」と言いました。母だけが私を娘だと認識していなかったのです。
介護を通しての気づき
コロナ禍で面会が制限される少し前の出来事でした。罵声を浴びせる患者に面会に来る人は見たことがなく、将来の自分の入院生活を想像し、温厚な老人になろうと心に決めました。
他の家族は罵声を怖がり、部屋を変えてもらえないか相談していることもありました。しかし、患者たちは、罵声に動じることなく、それぞれの世界で生きていました。介護を通して、人の強さ、そして人生の様々な側面を目の当たりにしました。
70代の一人暮らし:今思うこと
介護の経験は、私の人生観に大きな影響を与えました。70代になり一人暮らしをしている今、改めて健康の大切さ、そして人との繋がりの大切さを実感しています。
高齢化社会が進む日本では、介護は避けて通れない問題です。介護を通して得た経験を活かし、自分らしく生きていきたいと思っています。そして、周りの人々に優しく、温かく接していきたいと願っています。