「亡き母に呼ばれた気がした」元DA PUMP・宮良忍 実家の民宿を継ぐ決断した訳「故郷に戻るのは負けなんかじゃない」


【写真】「胸熱」「ふたりともイケおじ!」家族ぐるみで交流があるDA PUMP・ISSAさんとの再会ツーショット(14枚目/全15枚)

── 1997年、DA PUMPの「SHINOBU」としてデビューし、1998年から5年連続で紅白歌合戦に出場した宮良忍さん。地元・小浜島が舞台のNHKの朝の連続ドラマ小説『ちゅらさん』与那原誠役を想像する方も多いのではないでしょうか。宮良さんは16歳で小浜島を出て沖縄アクターズスクールに入学、デビュー後すぐに大人気を博しました。そもそも芸能界に入るきっかけはなんだったのですか?

仕事だけでなく、遊びにも忙しくて「37時間寝ない事件」というのがありました。千葉マリンスタジアムのライブを終えて、打ち上げに参加、その後ダンサーの先輩に呼ばれて熱海の白浜まで遊びに行って、都内に戻ったのは朝の8時。1時間だけ休んで、そこから写真集の撮影というスケジュールの1日を送った日のことです。実家は民宿を営んでいたのですが、全国からファンがたくさん訪れ、聖地のようになっていました。

宮良さん:しばらくは、東京の沖縄料理屋さんなどで三線ライブをしていたのですが、2011年ころに「民宿を継ごう」と真剣に考え始めました。というのも、実家の民宿が休業がちになってきたからです。うちはもともと母が民宿を切り盛りしていたんですよ。でも、僕が上京する1か月前に母が亡くなり、父や再婚相手の方が引き継いだものの、以前のようにはいかないことが増えてきました。これは、そろそろ自分が引き継ぐタイミングだな、と思ったんです。



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