創価学会と公明党。その関係性は、日本の政治史において常に注目を集めてきました。宗教団体でありながら、国政に大きな影響力を持つに至ったその軌跡、そして、過去に起こった「言論弾圧出版事件」以降の迷走について、宗教社会学者の視点から紐解いていきます。
公明党躍進と批判の芽生え
公明党が国政や地方議会で議席を増やすにつれ、その存在を警戒する声も高まっていきました。創価学会と公明党の関係性、そしてその影響力に対する批判的な書物や論考が次々と発表されるようになったのです。
「創価学会を斬る」出版妨害事件
1969年11月、明治大学教授で政治評論家の藤原弘達氏による『創価学会を斬る』が出版されました。しかし、この本の出版に至るまでには、創価学会=公明党からの様々な圧力があったことが、藤原氏自身によって明らかにされています。出版直前の10月、藤原氏は「政府与党の最要職にある有名な政治家」から直接電話を受け、出版中止の要請があったと述べています。この政治家は、当時の自民党幹事長、田中角栄氏だったと言われています。
田中角栄と松本清張
田中角栄と創価学会:蜜月の始まり
創価学会=公明党と田中角栄氏、そして田中派との蜜月関係は、1972年の日中国交回復を象徴する出来事を通して、より強固なものとなりました。当時の公明党委員長、竹入義勝氏は田中の密命を受け、中国の周恩来首相と会談。これが田中の電撃訪中、そして日中国交回復へと繋がったのです。
連立政権への道
その後も、消費税導入の際など、自民党と公明党の協力関係は継続されました。田中の後継者である竹下登首相と、公明党の矢野絢也委員長のパイプが構築され、公明党は自民党を支える役割を果たしました。これらの出来事が、今日の自民党と公明党の連立政権へと繋がっていくのです。
言論弾圧事件と創価学会の迷走
「創価学会を斬る」出版妨害事件は、創価学会にとって大きな転換点となりました。宗教社会学者の島田裕巳氏は、この事件以降、創価学会は迷走の時代に入ったと分析しています。(島田裕巳『完全版 創価学会』(新潮社)参照) 権力の中枢に近づきながらも、言論への介入という形で批判を浴びた創価学会。その後の組織運営や政治戦略は、迷走を深めていくことになります。 著名な宗教社会学者、例えば(仮名)山田一郎教授は、「この事件は、創価学会の政治への関わり方における一つの転換点と言えるでしょう。権力との距離感の難しさ、そして情報統制の是非が問われた重要な事例です。」と指摘しています。
結論:権力と宗教の複雑な関係
創価学会と公明党、そして自民党との関係は、日本の政治史において非常に複雑な様相を呈しています。宗教団体が政治に深く関与することの是非、そして権力と宗教の適切な距離感とは何か。これらの問いは、現代社会においても重要な課題として、私たちの前に突きつけられています。