公に目にする記者会見の裏で、ときに一歩も譲れぬ駆け引きが繰り広げられる外交の世界。その舞台裏が語られる機会は少ない。戦後最年少(50歳)で大使に就任し、欧州・アフリカ大陸に知己が多い岡村善文・元経済協力開発機構(OECD)代表部大使に、40年以上に及ぶ外交官生活を振り返ってもらった。
■日本は几帳面、イタリアはのんびり
《1993年秋、在ローマ日本大使館に赴任した。イタリアは翌年7月、先進7カ国(G7)のナポリサミットを控えていた》
会議の準備は大変だと予想していました。なぜなら、何事にものんびり構えて決めてくれないイタリア側と、日程を分秒単位で詰めないと納得しない日本側との板挟みになると思ったからです。
実際、2週間前になっても、イタリア側の責任者が休暇に出ていて、準備が進まなかった。ところがその後、日本側も大混乱に陥り、それどころではありませんでした。
■「早く情報を出せ」
サミット開催のわずか1週間前、日本の政局が急転回し、村山富市政権が誕生したのです。新内閣の業務は膨大で、サミット出席の調整などは後回し。イタリア側から「早く情報を出せ」と、せかされるほどでした。
《いよいよサミット当日。南欧の太陽が強烈にふり注ぐ、とても暑い日だった》
ナポリ空港に村山総理はじめ、河野洋平外務大臣、武村正義大蔵大臣、橋本龍太郎通産大臣を乗せた政府専用機が到着しました。
私の役目は、総理の日程にピタリと同行するリエゾン(連絡役)です。
■村山氏、猛烈な〝詰め込み授業〟
総理は私に「1週間、ほとんど寝ていないんだよ」と打ち明けました。思いもよらなかった総理の職に就き、日本で猛烈な〝詰め込み授業〟があり、いきなり外交の中でも最高峰のG7サミットに直面したからです。お疲れなだけでなく、相当緊張しておられたはず。
村山総理は70歳の年長者でしたが、G7首脳の中では最後に就任しており、すべての首脳に、こちら側からあいさつに回らなければなりません。そうした中、ナポリ市一帯が突然、停電に見舞われました。エレベーターも動かず。カナダのクレティエン首相を訪ねるには、ホテルの4階まで行かねばならない。総理以下、同行者はみんな、汗をかきながら階段を上りました。
■クリントン氏、村山首相をさんざん持ち上げる