アントニオ猪木。プロレス界の伝説、国民的ヒーロー。そのカリスマ性で多くの人々を魅了した一方で、その人生は謎に包まれた部分も多い。1983年、第1回IWGPリーグ戦決勝でのハルク・ホーガン戦。猪木は突如失神KO負けを喫し、世間を驚愕させた。この「猪木舌出し失神事件」の真相とは一体何だったのか?猪木の弟、猪木啓介氏が新刊『兄 私だけが知るアントニオ猪木』で初めてその内幕を明かした。今回はその衝撃的な内容に迫る。
東京医大病院での緊迫した夜
1983年6月2日、IWGPリーグ戦決勝の夜。猪木がリング上で倒れたという一報を受け、私は病院へと急いだ。救急車が東京医大病院に到着したのは午後9時45分頃。毛布にくるまれた兄の姿に、胸が締め付けられた。医師団に取り囲まれ、すぐさま検査が始まった。緊迫した空気が流れる中、30分ほど経った頃、富家医師から「命に別状はないようだ」と告げられ、安堵の息をついた。
アントニオ猪木がリング上で倒れた様子
新間寿氏、そして倍賞美津子さんも到着したが、CTスキャンの検査中のため病室には入れなかった。新間氏の表情は悲痛だった。3年もの歳月をかけて準備したIWGP。猪木の勝利を疑っていなかった新間氏にとって、この結果はまさに青天の霹靂だっただろう。レフェリーのミスター高橋氏への激しい抗議からも、その心中が察せられた。
報道陣と警察の介入
病院の通用口には、事件の一報を聞きつけた報道陣と警察が詰めかけていた。猪木氏の容態はもちろん、事件性の有無についても注目が集まっていた。新宿署の刑事も到着し、現場の状況確認を行っていた。この一件は、プロレス界のみならず、社会全体を巻き込む大きな騒動へと発展していくことになる。
弟だけが知る兄の苦悩
兄は当時、新事業の失敗により多額の負債を抱えていた。精神的にも肉体的にも追い詰められていたことは想像に難くない。そんな中でのIWGPリーグ戦。弟として、兄の苦悩を間近で見てきた私だからこそわかる真実がある。この失神事件は、単なるアクシデントではなかった。
食生活と健康管理の重要性
スポーツ選手にとって、健康管理は不可欠だ。特に過酷なトレーニングを続けるプロレスラーにとって、バランスの良い食事と十分な休息はパフォーマンスに直結する。「食と健康のプロフェッショナル」(仮称)の山田氏も、「トップアスリートにとって、栄養管理は日々のトレーニングと同じくらい重要です」と語る。兄もまた、多忙な生活の中で食生活が乱れていた時期があった。この事件をきっかけに、健康管理の重要性を改めて認識したに違いない。
失神事件の真相とその後
この失神事件の真相については、様々な憶測が飛び交った。しかし、真相は兄本人しか知らない。ただ一つ言えることは、この事件が猪木の人生における大きな転換点となったということだ。後に政界へと進出し、様々な活動を通して世界平和を訴え続けた猪木。その原動力となったのは、リング上で味わった挫折と苦悩、そしてそこから得た学びだったのかもしれない。
この「猪木舌出し失神事件」は、プロレス史に残るミステリーとして、今もなお語り継がれている。そして、この事件の裏側には、弟だけが知る兄・猪木寛至の人間としての苦悩と葛藤があったのだ。