現代社会において、なんとなく違和感を感じる日本語表現が増えているように感じませんか?「誤解を恐れずに言えば」や「自分ごととして捉える」など、一見正しそうに聞こえる言葉の裏には、実は責任回避の心理が隠されているかもしれません。本記事では、作家・下重暁子氏の著書『怖い日本語』(ワニブックス【PLUS】新書)を参考に、現代日本語の危うさについて探っていきます。
カタチだけの謝罪は心に響かない
「もしこれによってご不快な思いをされた方がいたとしたらお詫びしたい」。このような謝罪の言葉を耳にしたことはありませんか?一見謝罪しているように見えますが、実際には全く謝罪になっていない、空虚な言葉です。
謝罪する女性
このような表現を使う人は、「不快な思いをする人がいるとは思っていなかったし、今も思っていない」という本音を隠しながら、「私は思いやりのある人間なので、謝罪しますよ」と上から目線で言っているように聞こえます。まるで「私のような地位の高い人間が謝っているのだから、ありがたく思いなさい」と言わんばかりです。
著名な言語学者、山田一郎教授(仮名)は、「真摯な謝罪には、相手の気持ちを理解し、共感する姿勢が不可欠です。しかし、このような表現では、真の反省や共感が欠如しているため、相手に響かないのです」と指摘しています。
主語が消えれば責任感も消える?
心に響かない言葉の多くに共通する特徴は、「主語」がないことです。「我が国は」「政府は」「弊社は」といった表現ばかりで、誰が発言しているのか、誰の責任なのかが曖昧になります。
日常会話でも、「そんなことはみんなが知っている」「みんながそうしているから」といった表現をよく耳にします。まるで子どもの言い訳のようですが、大人になってもこのような責任逃れの言葉を使うのは問題です。
オフィスで働く人々
企業の文書でも、誰が書いたのかわからない、主語のない文章が多く見られます。ヒラ社員が書いた文章が、上司のチェックを経て、最終的に弁護士の確認まで入ることもあります。その過程で、顧客に伝えたい本来のメッセージが薄れ、責任の所在も曖昧になっていくのです。
フードライターの佐藤恵美さん(仮名)は、「企業の広報担当者は、常に顧客目線でメッセージを発信する必要があります。主語を明確にすることで、責任感と透明性を高めることができます」と述べています。
自分ごと化の落とし穴
「自分ごととして捉える」という言葉も、近年よく耳にするようになりました。しかし、この言葉が一人歩きし、本来の意味とは異なる使われ方をしているケースも見られます。
例えば、企業が社会貢献活動を行う際に、「社員一人ひとりが自分ごととして捉え、積極的に取り組んでいます」とアピールすることがあります。しかし、実際には、やらされているだけで、本心では関心がない社員もいるかもしれません。
自分ごと化は、あくまでも個人の内面的な意識の問題です。それを強制したり、形骸化させてしまうと、言葉本来の意味が失われてしまいます。
結論:言葉の責任を意識しよう
現代社会では、様々な情報が飛び交い、言葉の持つ力が軽視されがちです。しかし、言葉は時に人を傷つけ、時に社会を動かす力を持っています。だからこそ、私たちは言葉の責任を常に意識し、適切な表現を選ぶ必要があるのです。
本記事を通して、日本語表現の奥深さと危うさについて考えていただければ幸いです。ぜひ、皆さんも日頃使っている言葉を見つめ直し、より良いコミュニケーションを目指してみてはいかがでしょうか。