吉原遊女の一日:華やかな世界の裏側にある過酷な労働とは?

江戸時代の吉原遊郭。絢爛豪華なイメージの裏側には、遊女たちの過酷な労働がありました。彼女たちは一体どのような一日を過ごしていたのでしょうか?本記事では、大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の吉原風俗考証・山田順子さんの著書『吉原噺 蔦屋重三郎が生きた世界』(徳間書店)を参考に、遊女の知られざる日常に迫ります。

朝6時:客を見送り、再訪を願う

遊女の一日は、夜を共にした客の見送りから始まります。客の身支度を整え、羽織を着せかけ、自身も寝間着の上に羽織をはおって、客を見送ります。見送る範囲は客の格によって異なり、階段の上、見世の入口、通りの木戸口、そして大門までと様々でした。これは、客と遊女の間の駆け引きでもあったようです。 特に、引手茶屋からの紹介で来た新しい客には、茶屋が用意した朝食の粥を一緒に食べ、別れを惜しみつつ再訪を約束します。寝起きの素顔を見せることで、親近感を与えるのも遊女のテクニックの一つだったと言われています。

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客が帰った後、遊女たちは短い仮眠をとります。

朝10時:起床、朝食、そして入浴

午前10時、遊女たちは起床します。見世によっては内風呂がありましたが、全員が同時に入浴できるわけではありませんでした。そのため、朝食をとる者、入浴する者と別々に行動し、中には外の湯屋に行く遊女もいました。 朝食は、ご飯、味噌汁、おかず一品、香の物という質素なものでした。魚が出るのは月に一度ほどで、ほとんどが野菜の煮物や豆腐、油揚げを使った料理でした。そこで、昨夜の客が残した料理が貴重な食料となっていたようです。冬には小鍋で温めて食べたといいます。 吉原の遊女屋では、精米した白米が提供されていました。そのため、農村部で白米を食べることができなかった子供たちを勧誘する際に、「吉原に行けば白米が食べられる」という誘い文句が使われていたという話も残っています。

吉原の食事情:白米と質素な食事

食文化史研究家の小林先生(仮名)は、「当時の農村部では白米は貴重品でした。吉原で白米が提供されていたことは、遊女たちの生活水準を一定程度示していると言えるでしょう。しかし、おかずの種類が少ないなど、食事全体としては決して贅沢なものではなかったと考えられます。」と指摘しています。

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夜の帳が下りるまで

遊女たちは、午後から身支度を整え、夜のお客様を迎える準備を始めます。髪を結い、化粧をし、華やかな衣装を身につけ、夜の世界へと身を投じていくのです。彼女たちの華やかな姿の裏には、厳しい労働と生活がありました。

本記事を通して、江戸時代の吉原遊郭で働く遊女たちの日常を垣間見ることができたでしょうか。彼女たちの生活は、現代社会とは大きく異なるものの、私たちに多くのことを考えさせてくれます。