夏の参議院選挙を前に、早くも「自民大敗」の観測がニュースなどで報じられているが、別に驚くことではない。自民党弱体化の兆候はいろいろあるが、そのひとつが2024年秋の総裁選での史上まれにみる候補者の乱立だ。政治学者・岩田温氏の新刊「自民党が消滅する日」(産経新聞出版)は、派閥の弱体化こそが自民党の力の源泉を枯渇させたと喝破するなどし、今永田町で密かに読まれているという。参院選で自民党が大敗し、その後消滅に向かうのか。党存続の危機に立たされた自民党の行方を占う話題の書から一部抜粋・再構成してお届けする。
500年前のマキャヴェリが見抜いた政治の本質
2024年秋の自民党総裁選に挑戦しようとする人々が雨後の筍のように現れた。これだけ多くの政治家が乱立するという異常事態を分析する必要があるのではないか。総裁選候補者が増加した理由は派閥の力がなくなったことによる。「脱派閥」を主張するのは自由だ。しかし、派閥こそが自由民主党の力の源泉であったという事実は揺るがない。
『君主論』で著名なイタリアの政治思想家マキャヴェリは古代ローマの分析を徹底して行った。それが『ディスコルシ』である。彼の結論は従来までの政治思想家とは異なっていた。貴族派と平民派に分断され抗争を続けたこと自体がローマを強くしたと論じたのだ。ローマは一日にしてならず。この言葉は正しい。繰り返し行われた派閥抗争こそがローマをローマたらしめたのだと喝破したのがマキャヴェリだった。
自民が「保守政党」であるならば…
この総裁選を眺めていても、明確に保守主義の政治理念を唱える政治家は見当たらなかった。日本では容共と反共という言葉が使われる。しかし冷静に考えてみるとおかしな事態ではないか。共産主義勢力を容認するのは論外としても、反対するだけでも生ぬるい。共産主義勢力を殲滅するという滅共という概念こそが求められるのではないか。人類史における汚点はナチスのホロコーストばかりではない。共産主義者による無辜の民の虐殺を忘れることがあってはならない。ソ連の全体主義体制の過酷さを描いたソルジェニーツィンの『収容所群島』、スターリンによる徹底的なウクライナ弾圧を描いたワシーリー・グロスマンの『万物は流転する』、ソ連を尊敬し幻滅したアンドレ・ジッドが書いた『ソヴィエト旅行記』を紐解いてみればよい。あまりに苛烈で醜悪な全体主義国家ソビエトの真実が描かれている。
日本ナチス党は存在しない。誰もがナチズムの脅威を理解しているからだ。しかし、日本共産党は存在する。共産主義の脅威についてあまりに鈍感ではないか。自由民主党が保守政党であるとの立場に立ちたいのなら、滅共という立場を取る人が総裁を目指すべきであろう。
岩田 温