六代目山口組と神戸山口組の抗争、ついに終結へ。10年にも及ぶ抗争の歴史、終結に至るまでの経緯、そして今後のヤクザ組織の動向を徹底解説します。
10年に及ぶ抗争の歴史
2015年、六代目山口組から分裂した神戸山口組。以来、両組織間では激しい抗争が繰り広げられてきました。抗争は日本社会に大きな不安を与え、一般市民にも多大な迷惑をかける事態となりました。
山口組抗争のニュース記事
六代目山口組の終結宣言
2024年4月7日、六代目山口組の幹部が兵庫県警本部を訪れ、抗争終結の誓約書を提出しました。誓約書には、「今後、神戸山口組の井上邦雄組長らを含めて、六代目山口組の処分者とはもめごとを起こしません」という内容が記されており、一般市民への謝罪の言葉もあったとされています。
抗争終結への道筋
2019年11月、神戸山口組の古川恵一幹部が射殺された事件をきっかけに、六代目山口組は攻勢を強めました。神戸山口組は劣勢に立たされ、有力組長が次々と離反。組織の弱体化は明らかでした。
分裂当時、六代目山口組は約14000人、神戸山口組は約6100人の組員を抱えていましたが、昨年末には六代目山口組が6900人、神戸山口組はわずか120人にまで減少しました。
稲川会による仲介と「要望書」
抗争終結に向けて、指定暴力団・稲川会が仲介役を務めました。当初は全国の暴力団組織による「連判状」を作成し、井上組長に引退と身の安全、資産の保全を約束する計画でしたが、最終的に九州の暴力団組織が署名を保留したため、計画は頓挫しました。
その後、稲川会と住吉会は「連判状」ではなく「要望書」を作成し、六代目山口組の高山清司若頭に提出しました。「要望書」には、抗争の早期終結を強く求める内容が記されていました。
六代目山口組・司忍組長
絆会との抗争
六代目山口組にとって、抗争相手は神戸山口組だけではありませんでした。2023年4月、弘道会幹部の余嶋学組長が、絆会ナンバー2の金成行被告に射殺される事件が発生しました。絆会は、2017年に神戸山口組から分裂した組織です。
今後のヤクザ組織の動向
神戸山口組との抗争は終結しましたが、今後のヤクザ組織の動向は予断を許しません。警察当局は引き続き警戒を強め、暴力団排除活動を推進していく方針です。
専門家の見解
犯罪社会学の専門家である田中教授(仮名)は、「今回の抗争終結は、ヤクザ組織の衰退を象徴する出来事だ」と指摘しています。「暴力団対策法の施行以降、ヤクザ組織は資金源を失い、弱体化が進んでいる。今後も抗争の再燃や新たな組織の分裂などが起こる可能性は低くはないが、ヤクザ組織全体としては衰退の一途を辿るだろう」と田中教授は分析しています。