日産追浜工場閉鎖の衝撃:2400人の雇用と企業城下町の未来

グループ存亡の危機に直面した日産自動車は、横須賀市にある追浜工場を2027年度末に閉鎖することを発表しました。60年以上にわたりブルーバードやマーチ、キューブといった名車を生み出してきたこの名門工場の閉鎖は、約2400人もの従業員の雇用を失わせ、東京ドーム36個分にも及ぶ広大な敷地(170万平方メートル)の大部分が「都心50km圏の空白地」となることを意味します。日産の基幹工場閉鎖は今回が初めてではありません。「ゴーン改革」の最中、2001年から2004年にかけて村山工場が順次閉鎖された際には、日産は約1000億円近い売却益によって財務を改善させました。「街が吹っ飛ぶ」とさえ言われた武蔵村山市も、跡地のショッピングモール化などを通じて、街を生まれ変わらせるきっかけを掴んでいます。

日産の企業城下町として栄えてきた追浜は、この先どのように変化していくのでしょうか。その現状を探るべく、横須賀名物のポテチパンを片手に街を歩き、追浜地区と日産、双方の課題について考察しました。

企業城下町・追浜の現状と日産との深い絆

日産と取引のある国内企業は、間接取引を含めると1.9万社に上ります。中でも神奈川県には、1次取引先だけで353社、2次取引先は2051社も集積しており、横須賀市は臨海部に板金加工やマシニングなどを得意とする工場が立ち並ぶ「日産の街・クルマの街」「ものづくりの街」であることが一目で分かります。

日産自動車追浜工場の看板、閉鎖発表後の企業城下町横須賀の現状を示唆日産自動車追浜工場の看板、閉鎖発表後の企業城下町横須賀の現状を示唆

追浜地区の人口は約3万人強。1961年の工場創設以来、日産とともに発展し、現在でも「小学校のクラスには数人、親が日産や取引先に勤務している子どもがいる」と、地元の主婦も語るほど地域社会に深く根付いています。横須賀市全体が「30数年で人口が43万人から37万人弱に減少」という人口減に直面する中、追浜では「ルネ追浜」や「ザ・パークハウス追浜」などの高級マンション建設が進められ、近年も人口は微増微減を繰り返し、踏みとどまってきました。やはり追浜は日産があってこその街だと言えるでしょう。

活気を失いつつある中心市街地の課題

しかし、中心部の賑わいには寂しさが漂います。駅前のデパート「サンビーチ追浜」の屋上には、16年前に撤退した「西友」の看板の残骸が残り、空きテナントスペースが目立ちます。商店街は「ポテチパン」で有名な北原製パンなどで賑わいを見せるものの、多くの店舗が古く、全体的に客足は少ない印象です。

それでも、北隣の横浜市南区や南側の横須賀市中心部にはない、独特の味のある名店が揃っているのも事実です。裏通りにひっそりと佇む「ニュー松の湯」の充実したサウナには高齢者が集い、数十年前から変わっていないような看板を掲げた「東食品デパート」では豆腐店や精肉店が今も現役で営業しています。

工場閉鎖がもたらす地域経済への影響と再開発の可能性

日産追浜工場の閉鎖は、2400人もの直接雇用を失わせるだけでなく、サプライヤーや関連企業、そして地域全体の消費活動にも大きな影響を与えるでしょう。横須賀市の地域経済は、かつて日産が村山工場閉鎖後に跡地をショッピングモールとして再開発し、街の活性化に成功した事例を参考に、広大な跡地の有効活用と新たな産業誘致が喫緊の課題となります。

追浜の街が日産撤退後の未来をどう描き、いかにして新たな活気を生み出すか。この大きな変革期は、地域が持続可能な発展を遂げるための新たな挑戦となるでしょう。