アントニオ猪木。国民的英雄として、リング内外で多くのファンを魅了し続けたカリスマレスラー。その輝かしい功績の裏には、あまり知られていない苦悩と葛藤がありました。今回は、実弟である猪木啓介氏の著書『兄 私だけが知るアントニオ猪木』を元に、晩年の猪木氏の闘病生活、そして家族との複雑な関係に迫ります。カリスマの知られざる一面、そして家族愛の物語が、あなたの心を揺さぶることでしょう。
闘病生活とホテルオークラからのSOS
2018年、猪木氏は全身性アミロイドーシスという難病を発症。心臓機能が低下していく深刻な状況でした。最愛の妻・橋本田鶴子氏を2019年に亡くした後、猪木氏の介護はマネジメントスタッフによって行われ、実弟である啓介氏でさえ自由に会うことを許されませんでした。
そんなある夏の日のこと。啓介氏の携帯電話に着信が。それは、ホテルオークラに滞在していた猪木氏からのSOSでした。
アントニオ猪木氏とホテルオークラでの一枚
運転中だった啓介氏は、同乗していたジャパンプロレス元会長の湯川会長にも聞けるよう、スピーカーホンに切り替えました。すると、受話器の向こうから、絞り出すような声で猪木氏が訴えました。「啓介、俺はここを出たいんだ。何とか早く出してくれ!」
その悲痛な叫びに、啓介氏と湯川会長は言葉を失いました。
白金台への移転計画と兄弟の絆
まさにその頃、啓介氏は猪木氏のために新たな住まいを探していました。白金台のタワーマンション最上階。富士山を望む絶景のロケーション。ジャパンプロレス元会長の竹田勝司氏からの紹介で、理想的な物件が見つかったところでした。
「兄貴、分かった。待ってくれとは言わない。ちょうど、物件も見つかったところだ。早くそこを出よう」
啓介氏は、兄の願いを叶えるべく、すぐに行動を開始しました。長年にわたり確執があった兄弟でしたが、この瞬間、強い絆が再び繋がったのです。
闘病中の猪木氏を支えた人々
猪木氏の闘病生活は、決して平坦なものではありませんでした。しかし、その傍らには、常に彼を支える人々がいました。献身的に介護を続けたスタッフ、そして何よりも、兄を救いたい一心で奔走した啓介氏。
闘病中のアントニオ猪木氏
彼らの存在が、猪木氏にとってどれほどの支えとなったのか、想像に難くありません。 “燃える闘魂” アントニオ猪木。リング上で見せた闘志は、病魔との闘いにおいても決して衰えることはありませんでした。
まとめ:永遠のヒーロー、アントニオ猪木
この記事では、猪木啓介氏の著書を基に、アントニオ猪木氏の晩年の闘病生活と、兄弟の絆を描きました。国民的英雄として知られる猪木氏の、人間味あふれる一面に触れることができたのではないでしょうか。 猪木氏の生き様は、私たちに多くの勇気と感動を与えてくれます。これからも、永遠のヒーローとして、私たちの心に生き続けることでしょう。