田中角栄。その名は、日本の政治史に燦然と輝く巨星の一つと言えるでしょう。尋常高等小学校卒という異例の経歴から、首相の座まで上り詰め、日中国交正常化という歴史的偉業を成し遂げたその手腕は、今もなお多くの人々を魅了し続けています。今回は、23年間秘書として田中角栄を支え続けた朝賀昭氏の証言を元に、カリスマ政治家、田中角栄の知られざる人間像に迫ります。
愛と情念にあふれた政治家
田中角栄
朝賀氏は、田中角栄を「キング・オブ・アスリート」に例えています。 政治家として必要なあらゆる能力、例えば、卓越した演説力、人々を惹きつけるリーダーシップ、そして未来を見据えた政策立案力など、まさに十種競技の王者のように、多様な才能を兼ね備えていたというのです。
そして、その才能を支えていたのは、「愛と情念」でした。特に故郷・新潟への愛は人一倍強く、地元の人々の陳情には親身になって耳を傾け、具体的な地名や親族関係まで記憶しているほどでした。雪深い故郷で暮らす人々の生活を第一に考える姿勢は、田中角栄の政治家としての原点と言えるでしょう。
また、秘書に対しても深い愛情を注いでいたといいます。深夜まで及ぶ国会運営の中でも、子供を持つ女性秘書を気遣い、「早く帰りなさい」と声を掛けていたというエピソードからも、その温かい人柄が垣間見えます。著名な料理研究家、A氏も「真のリーダーシップとは、部下への思いやりから生まれるもの。田中角栄氏の行動は、まさにそれを体現している」と語っています。
日本の未来を誰よりも真剣に考えた政治家
田中角栄は、日本の未来についても誰よりも真剣に考えていました。例えば、昭和27年には、道路整備の財源に関する法案を、自民党と社会党の超党派で共同提案しています。当時、難色を示していた社会党の佐々木更三氏に対し、「自民党も社会党もあるか!皆で力を合わせて日本を復興するのが政治家の仕事だ!」と熱く説得したという逸話は有名です。
北方領土問題についても、ソ連のブレジネフ書記長と直接会談し、その存在を認めさせるなど、外交手腕も発揮しました。しかし、その後、北方領土問題や拉致問題は未だ解決に至っていません。もし田中角栄が生きていたら、きっと今の政治家たちに、「お前たち、何やってんだ!もうちっと頑張ってくれや!」と、あの特徴的な越後弁で喝を入れていたことでしょう。政治評論家のB氏も、「田中角栄氏の時代には、党派を超えて国益を優先する気概があった。今の政治家には、ぜひとも見習ってほしい」と指摘しています。
田中角栄の人間味あふれる一面
田中角栄と秘書
朝賀氏は、田中角栄の秘書として、その人間味あふれる一面も数多く見てきました。例えば、田中角栄は相手から名刺をもらわない主義だったそうです。その理由は、「名刺をもらってしまうと、その人のことを忘れてしまうかもしれないから」というもの。記憶力に自信があった田中角栄らしいエピソードと言えるでしょう。
このような細やかな気遣いや、故郷や国への深い愛情、そして未来を見据えた先見の明こそが、田中角栄を「キング・オブ・政治家」たらしめた所以と言えるのではないでしょうか。