【6人死傷の玉突き事故】遺族慟哭、「高熱のまま大型トラックで首都高をフラフラ走行」が危険運転じゃないなんて…


 2024年5月、首都高速の美女木ジャンクションで発生したトラックと乗用車計7台が絡む玉突き衝突事故。大型トラックに追突された複数の車が炎上し、6名が死傷。通行止めは24時間以上におよんだ。加害者のトラック運転手は自動車運転処罰法違反(過失致死傷)で起訴され、裁判はこれから始まる予定だが、遺族らは、「過失」ではなく、より罪の重い「危険運転致死傷罪」で裁かれるべきだ」と訴えている。あの日から間もなく1年、ノンフィクション作家の柳原三佳氏が本件事故で夫を亡くした女性に今の思いを聞いた。

【写真】子どもたちが撮影した杉平さん夫婦の写真。裕紀さんのお気に入りで携帯電話の待ち受け画面に使われていたという

■ 遺体は真っ黒に炭化、顔を見て最後のお別れが出来ないという現実

 「事故から2週間後、DNA鑑定でようやく身元が判明した主人は、真っ黒に炭化し、目も鼻もありませんでした。警察と葬儀屋さんには何度も止められましたが、それでも、どうしても会いたくて……。私は、『辛かったね、迎えに来たよ』そう言って、主人の頬を両手で包み込みました。真っ黒になったその手で、涙を拭った私の頬もまた、真っ黒になりました」

 4月9日、東京都内で開かれた記者会見の席でそう語ったのは、1年前の5月、首都高速・美女木ジャンクションで発生した追突炎上事故で、夫の杉平裕紀さん(42)を亡くした妻の智里さんです。

 この日、長女と、亡くなった夫・裕紀さんの母親、そして妹と共に会見に出席した智里さんは、涙を拭いながら語りました。

 「高3の息子と中3の娘にとって、主人は唯一無二の大切な父親でした。本当に仲の良い家族でした。亡くなった人の顔が見られない、最後の姿に会ってお別れができないというのは本当に悲惨で、私はいまだに現実を受け入れることができないのです。納骨はしましたが、私は主人のお墓に行くことができません。毎日主人のいないリビングの空間に話しかけていますが、返答はありません」

 上の写真は、裕紀さんが運転していた社用車のワンボックスカーです。玉突き状態となって別のトラックと側壁の間にはさまれるかたちで炎上したため、ほとんど原形をとどめていないことがわかります。



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