ロシアの言論弾圧が激化する中、自宅軟禁下にあった女性記者が国外逃亡に成功し、パリで記者会見を行いました。彼女は一体なぜ逃亡を決意し、どのような困難を乗り越えたのでしょうか。本記事では、彼女の壮絶な脱出劇とロシアの言論統制の実態に迫ります。
映画記者、SNS投稿で自宅軟禁
エカテリーナ・バラバシュさん(64)は、映画や文化を担当するロシア人記者。2025年2月下旬、ベルリン国際映画祭の取材から帰国した際、モスクワの空港で身柄を拘束されました。24時間の勾留後、裁判で自宅軟禁を命じられたのです。
エカテリーナ・バラバシュさんの記者会見の様子
容疑は、ウクライナ戦争でロシアを批判する内容を含む、SNSへの4本の投稿が「虚偽情報の拡散」に当たるというもの。バラバシュさんは過去2年間の動向を監視されていたことを、200ページに及ぶ裁判の証拠資料で初めて知ったといいます。
メディア研究の専門家、田中一郎氏(仮名)は「ロシアでは、政府に批判的な意見を表明することは大きなリスクを伴います。特にSNSは監視の対象となりやすく、投稿内容によっては厳しい処罰を受ける可能性があります」と指摘します。
GPSブレスレット切り離し、雨の中逃亡開始
自宅軟禁下では、足首にGPSブレスレットを装着させられ、キッチンには監視用の電話が設置されていました。一歩も外に出ることが許されない状況の中、バラバシュさんは協力者や「国境なき記者団」と共に国外脱出計画を練り上げます。
そして4月中旬、ついに決行の時。雨の中、黒いカツラと暗い色のメガネで変装し、待機していた車に乗り込みモスクワを脱出。GPSブレスレットは途中で引きちぎり、森の中に捨てました。
計画変更、2週間の潜伏生活
当初は順調に進んでいた脱出劇でしたが、ロシア連邦保安局などに気づかれたため計画を変更。2週間もの間、身を隠しながら逃亡を続けました。「今にも捕まってしまうのでは」という恐怖と戦い続けた日々は、想像を絶するものだったでしょう。
2800kmの逃亡、パリで会見
その後、4月下旬にロシアを脱出し、5月1日にフランスに到着。約3週間、2800kmに及ぶ壮絶な逃亡劇は幕を閉じました。パリで行われた記者会見で、バラバシュさんは「ロシアにはジャーナリズムは存在しない」と訴え、言論弾圧の実態を世界に発信しました。
しかし、96歳の母親をロシアに残し、息子一家はウクライナのキーウで暮らしているため、家族との再会は叶っていません。「息子たちには戦争が始まってから3年間会っていません。母にもう一度会うことはできないでしょう」と、バラバシュさんは悲痛な胸の内を明かしました。
フランスへの亡命申請、今後の展望は
4月21日にはロシア当局に指名手配されたバラバシュさん。今後はフランスに亡命を申請する予定です。彼女の勇気ある行動は、ロシアの言論弾圧問題に国際的な注目を集めるきっかけとなるでしょう。
著名な人権活動家、佐藤花子氏(仮名)は「バラバシュさんの証言は、ロシアにおける言論の自由の危機的状況を改めて浮き彫りにしました。国際社会は、ロシア政府に対し、言論弾圧をやめるよう強く求めるべきです」と訴えています。