秩父の山で忽然と消えた男性 遭難へと導いたのは“誤ったサイン”だった?


 そう語るのは、民間の山岳遭難捜索チームLiSS(リス)代表の中村富士美氏だ。彼女は、思いも寄らない事態に戸惑う家族から依頼を受け、メンバーと共に山へ捜索に向かう。

 ある年の春、自宅に秩父の山の地形図を残し、60代男性が行方不明になった。中村氏は家族へのプロファイリングを通して男性のたどったルートを推理し、捜索を続ける。そんな中、地元の人から気になる話を耳にし……。

 現場のリアルな様子を、中村氏の初著書『「おかえり」と言える、その日まで 山岳遭難捜索の現場から』より一部抜粋してお届けする。

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 一応ウェブサイトも作ったものの、「年に1〜2件、依頼が来るくらいかな」と思っていた。ところが3月には最初の依頼を受け、18年は5件、19年は13件、20年4件、そして21年は7件の捜索依頼を受けた。

 次に紹介するのは、山岳遭難捜索チームLiSSを立ち上げたばかりの2018年に引き受けた捜索だ。

残されていた地形図

 Mさんは、都内在住。同居していた両親はすでに他界し、一人暮らしだった。連絡も入れずに会社を休んだことを不審に思った社長が、地方に住む兄妹へ連絡した。兄妹がMさんの住むアパートを訪問したところ、プリンターの上にプリントアウトされた列車の乗換案内やバス時刻表等と共に一枚の地形図が残されていた。埼玉県の群馬県寄りに位置する秩父槍ヶ岳(標高1341メートル)のものだった。その名の通り、槍のように切り立つ急峻な峰や断崖絶壁が多いのが特徴の山である。地形図には、Mさんが登ろうとしたとみられるルートも書き加えられていた。

 携帯電話へ連絡してもつながらない。兄妹は「この山で遭難したのかもしれない」と考え、捜索願を提出した。この時点で、Mさんが山に入ったとみられる3月18日から2日が経過していた。

 翌21日から、管轄警察と地元の有志による捜索活動が始まる。

 捜索初日、季節外れの低気圧の影響を受け、秩父は朝から春の大雪となった。

 みるみるうちに雪が積もり、捜索活動は困難を極めた。天候の回復と雪が融けるのを待ち、捜索活動を再開できるようになるまでに、10日も掛かってしまった。

 遺留品すら見つからず、Mさんが行方不明になって21日後の4月7日、捜索は打ち切られることになった。

 ご家族から私たちへ捜索依頼が入ったのは、捜索終了の翌日のことである。



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