新山千春さんの長女もあさんは、両親の離婚後、「私を育てるためにお母さんは一生懸命だった」と当時を振り返ります。社会人になり母への感謝の気持ちが強くなった理由とは。(全2回中の2回)
■離婚後も「お母さんは、お母さんだった」
── お母さんの新山千春さんがおととし、年の差婚をしたことが話題になりました。もあさんが小学生のころにご両親が離婚した経験があると思いますが、当時、どのようなことを感じていましたか。
新山さん:当時8歳で小学生でしたが、子どもながらにお父さんと離れることはわかっていて、寂しいなと思う気持ちがありました。お父さんとも会っていたのですが、お母さんと暮らしていたので、会いたいときにすぐには会えません。
でも、お母さんが私に寂しい思いをさせないよう努力してくれていたことを、ものすごく感じていました。私を育てるために一生懸命仕事をしていたことも、私と2人の時間を何よりも大切にしていたことも伝わっていました。時間があればいろんなところに連れて行ってくれて、一緒にたくさん遊んでくれていたことは今でも記憶に残っています。今振り返っても小さいころの楽しい思い出がたくさんありますね。この春から社会人になって、お母さんへの感謝の気持ちもより大きくなりましたし、今も変わらずですが、お母さんと過ごす時間が何よりも大好きだったなと思いますね。
── ご両親の離婚後に、生活が変わったそうですね。
新山さん:芸能の仕事が、安定しているものではないことが理由だと思うのですが、お母さんたちが離婚してから実は結構、古くて狭い家に引っ越して住んでいました。芸能人というと、豪華な生活をしているイメージがあるかと思うのですが、うちはそんなことはまったくなくて。母は、贅沢をしない、身の丈にあった普通の暮らしをなるべくさせようと思っていたんだと思います。
「家を人に知られないように、なるべく友達に教えないでね」と当時、お母さんから言われていました。「人前に立つ仕事をしているし、あとをつけられたりするのは怖いから気をつけてね」って。今思えば、住んでいた家のセキュリティの面などに不安があったからかもしれませんが、当時はそんなことは何もわからず、これが普通という感じで過ごしていました。お母さんが、「お父さん役もお母さん役も自分で買って出て、仕事と子育ての両立を頑張っていた」という話を大きくなってから聞いたことがあったんですが、娘の私にとっては、お母さんがお父さん役もしていたとは思わなくて。お母さんは、あくまでお母さんでした。でも、生活全般のいろんなところに気を回して、あらゆる面から私をサポートしてくれていたことは感じていました。