人事もほぼ固まる
一方的な抗争終結宣言から1カ月半、ナンバー2の若頭交代から1カ月。そして5月14日にはその他の幹部人事も発表され、急だった6代目山口組をめぐる動きに落ち着きが見られつつあるという。その流れの中で見えてきた6代目山口組の狙いである「特定抗争指定」の解除について見て行こう。
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まず、一方的な抗争終結宣言に至るまでの流れを簡単に振り返っておこう(肩書は当時のものを使用)。
3月13日、愛知県津島市の玉屋一家(6代目山口組の3次団体で、上部組織は3代目弘道会)本部において、高山若頭と竹内若頭補佐、そして6代目稲川会の内堀和也会長とが話し合いを行った。テーマは抗争終結で、「神戸山口組の井上邦雄組長の引退と組織の解散を促すべく全国の主だった任侠団体の賛同を取りつけ、抗争終結に向けた打ち合わせをするためのものだった」とされた。その後、「全国の主だった任侠団体の賛同を取りつけ」る連判状の手配が進んだが、井上組長は外部の人間との面会を拒否しているということで方向転換を余儀なくされた。具体的には、6代目山口組に対して抗争をストップするように要望する立てつけになったようだ。
若頭補佐は計8人に
この要望書は4月4日、内堀会長と9代目住吉会の小川修司会長によって6代目山口組執行部が集まる瀬戸一家(本部:愛知県瀬戸市)に持ち込まれたとされる。
4月7日になって、高山若頭と藤井若頭補佐、竹内若頭補佐が稲川会館(神奈川県横浜市)に出向き、内堀会長と小川会長に要望書の受託を伝達。一方、執行部の3人が兵庫県警に出頭し、一方的な抗争終結宣言を行った。その中身は以下の通り。
《この度は全国の任侠団体の申し出により山口組は処分者の井上、入江、池田、岡本、宮下との抗争を終結する事にしました。尚、山健組処分者の織田とも今後一切揉める事はしません。一般の市民にはご迷惑お掛けしました。高山清司 執行部一同》
井上とは神戸山口組の井上邦雄組長、入江は神戸山口組の入江禎・元副組長(2代目宅見組組長)、池田は池田組の池田孝志組長、岡本は神戸山口組の岡本久男舎弟(2代目松下組組長)、宮下は宮下和美舎弟頭補佐(2代目西脇組組長)を指し、そして織田は絆會の織田絆誠会長のことだ。
4月18日以降、6代目山口組の人事発表が相次いだ。高山若頭が新設ポストの相談役に就任し、後継には竹内若頭補佐が昇格。藤井若頭補佐が顧問に、代わって高山若頭付の豪友会・加藤徹次会長が若頭補佐に昇格。5月14日には、落合金町連合の佐藤光男会長が同様に若頭補佐に昇格するなどの人事が正式に発表された。これで若頭補佐は計8人となった。