物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は4月26日に亡くなった角和夫氏を取り上げる。
【実際の写真】額に黒いやけどの跡が… 「宝塚いじめ問題」の生々しい“証拠写真”
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堅実で真面目で現場主義
2003年、阪急電鉄の社長に角(すみ)和夫氏が就任した時、社はバブル期に行った過剰な不動産投資の後始末に追われていた。常務で54歳の角氏が社長に抜てきされた最大の理由は、「不動産業務にほとんどかかわってこなかった」ためだった。
阪急は関西の名門企業である。創業者の小林一三(いちぞう・1957年に84歳で他界)は沿線に良質な住宅地を開発。宝塚では現在の歌劇団につながる舞台をはじめ、大阪には百貨店を開くなど乗客を生み出すビジネスモデルを創造。氏の先見の明や発想を実現し成功させた経営手腕は、今も評価が高い。
社長就任以来、角氏をたびたび取材してきた「財界」主幹の村田博文氏は言う。
「“いい沿線づくり”という言葉を角さんは常に口にしていました。大衆の幸せに寄与したい、との小林一三さんの精神を時代に即した形で受け継いだ。堅実で真面目。新機軸を打ち出すより現場重視で地味です。ちゃんと目を見てこちらの質問に丁寧に答えてくれましたが、インタビュー記事に見出しを付けにくかった」
鉄道畑で30年
49年、兵庫県宝塚市生まれ。父親は弁護士。私立灘中学・高校から早稲田大学政治経済学部に進み、73年、阪急電鉄に入社。
鉄道事業を中心に歩んだ。乗客の運賃から生じる10円レベルの利益の積み重ねが安全輸送、設備投資を支えていると実感した。
「お金の重みを知っており、不動産部門とは感覚が違う。90年代初めに輸送人員が前年を割り込んだことに時代の変わり目を見たのも鉄道畑の人らしい」(村田氏)
社長就任2年後の05年、持ち株会社への移行に伴い、阪急ホールディングス(HD)の社長を兼務。ただしグループ会社を強く束ねる手法は取らなかった。
“阪神を守った”と喝采
同年、村上世彰氏が率いる村上ファンドが、阪神電鉄の株式を大量に買い占めていると判明。阪神は同じ地域を走るライバルだが、翌年、角氏は阪神株の公開買い付けを決断、約2500億円を投じ村上ファンドによる経営支配を阻止した。
コンサル会社の助言あってのことだが、阪神を守ったと喝采を浴びる。戦後初の大手私鉄同士の経営統合を実現し、阪急阪神HDの初代社長に就任した。
「村上ファンドの動きがなければ、阪神電鉄との経営統合はなかったと話していた。人命を預かる鉄道の経営を、素人が行いかねない事態を許せなかったのが本心だと思います」(村田氏)