30年近く、「街の郵便屋さん」として働いていた男性を追い詰めたのは、過酷な労働環境だった。
昨年7月20日、東京都武蔵野市にある武蔵野郵便局に勤務していた、飯島淳(じゅん)さんが自宅で亡くなった。享年48。死因は虚血性心疾患だった。
「淳は、郵便局に殺されたと思います」
淳さんの80代の母親は、絞り出すように語る。
淳さんは1996年に郵便局に就職すると、東京都府中市にある武蔵府中郵便局の郵便物を集荷・配達する集配課に配属された。地域に根ざした仕事にやりがいを感じ、同僚にも恵まれ、仕事に誇りを持って働いた。ところが、2023年10月、武蔵野郵便局に異動になると、状況は一変した。郵便局では、職員は職場の異動を前提としている。淳さんは武蔵府中郵便局で働き続けたかったが、これ以上、年をとってからの異動はつらいとの思いで、47歳で武蔵野郵便局への異動に応じた。
郵便物を配達するには、その地域の地理や顧客情報を覚えなければいけない。しかし、同郵便局はエリアが広く、異動してきたばかりの淳さんにとって短期間での把握は困難だった。完全に覚えきる前に担当エリアは拡大していった。十分な協力体制がない中、淳さんは配達に追われた。
■「眠れない」
仕事に忙殺され、満足に昼休みも取れなかった。母親が「せめて、おにぎりぐらい食べたら」と気遣うと、「忙しくて、おにぎりすら食べられない」と答えたという。精神的にも肉体的にも追い詰められ「眠れない」「武蔵野はクソだよ」と両親によくこぼした。24年4月になると友人に「10キロ痩せた」と話していたという。
7月8日の朝には、バイクの始業点検中に狭心症の発作を起こしたが、少し横になっただけで配達に出たという。この頃、真っ白な顔の淳さんを同僚が見ている。それからしばらく経った20日夜、淳さんは亡くなった。
発見されたのは、亡くなって2日後の朝。出勤しないことを不審に思った局の職員が警察に連絡し、知らせを受けた70代の父親がマンションに駆けつけると、淳さんは布団の上でスマートフォンを握りしめたまま亡くなっていた。部屋のエアコンはつけっぱなしだった。武蔵野郵便局に異動して、わずか10カ月弱だった。解剖に当たった医師は、「胃の中に固形物がまったくなかった」と説明したという。
「食事すら満足に取れず、つらかったろうって思います。そういう厳しい仕事を息子がしていたのだと、もっと早く思いやってあげられたら……」(母親)
■何があったのか
両親は淳さんの死は過重労働による過労死だと考え、母親が「全国一般三多摩労働組合」に加入し、日本郵便に団体交渉を申し入れたが拒まれ、現在は訴訟に向けて動いている。
父親は強い口調で訴える。
「郵便局は何があったのかを包み隠さず、事実を明らかにし、同じ悲劇が二度と起こらないようにしてほしい」
全国の郵便局を運営する日本郵便はAERA編集部の取材に、淳さんが亡くなった原因の認識について、「関係者のプライバシーに係ることなので、回答は差し控えさせていただきます」と詳細な説明はなかった。また、遺族への対応については「引き続き、ご遺族からの情報開示、調査への協力等のご要望に対しては誠意をもって対応させていただきます」と回答した。
全国の郵便局で、過労死を含む現職死や自死が相次いでいる。
郵便局で働く労働者やその遺族らでつくる「郵便局過労死家族とその仲間たち(郵便局員過労死家族会)」の調査では、01年から24年の24年間で、全国の郵便局における突然死・自死は、把握できただけで25件に上った。
「氷山の一角だと考えています」
こう指摘するのは、家族会事務局長で、郵政産業労働者ユニオン元中央執行委員の倉林浩さん(69)だ。