『週刊プレイボーイ』『ヤングマガジン』『週刊少年チャンピオン』『FLASH』『漫画アクション』……グラビアデビューからわずか9カ月で、数々の雑誌の表紙を飾る福井梨莉華。2025年のグラビア界の大本命になりそうな彼女に、子供の頃の話から芸能界を目指したきっかけ、グラビアデビュー、そして体型へのコンプレックスまで、縦横無尽に話を聞いた。(前後編の前編)
【写真】初ビキニから9カ月で表紙11誌!グラビア界の大本命、福井梨莉華【10点】
――まずは子供の頃の話から聞かせてください。どんな子供でしたか?
福井 外を走り回ってばかりの、元気いっぱいの子どもでしたね。夏はプールに通っていたから、毎年真っ黒になるくらい日焼けしていました(笑)。あと、おばあちゃんの家によく行っていました。おばあちゃんは畑で大根とか白菜とか野菜をたくさん育てていたんです。その種まきをしたり収穫したり。お絵かきしたり、一緒にドーナツを作ったりしたのも覚えていますね。もう亡くなってしまったんですが、本当に大好きなおばあちゃんでした。
――当時、何か習い事はしていましたか?
福井 小さい頃はバレエやピアノ、体操を習っていました。部活ではバレーボールやバドミントン、ダンスなど、本当にいろいろやっていました。
――思い出に残っているエピソードがあれば教えて下さい。
福井 お母さんが昔バスケをしていたので、私も体験に行ったことがあったんです。でも、シュート練習中にボールがボードに跳ね返って、自分の頭に当たってしまって(笑)。すごく恥ずかしくて、「もうバスケはいいや」と思って、室内競技つながりでバレーを選びました。
――それはちょっと恥ずかしいかもしれませんね。バレーは長く続けていたんですか?
福井 小学校2年生から6年生までやっていて、中学では個人競技をやってみたくなってバドミントン部に入りました。そして高校ではまた3年間バレーボール部に所属しました。
――そんなスポーツ少女だった福井さんが女優に興味を持ったキッカケは?
福井 小学生のときに、同い年の芦田愛菜さんが『明日、ママがいない』というドラマに出演されていたんです。それを観てすごく惹きつけられて、「女優さんってすごい」と思ったんです。当時、学校から帰ってきて自分でドラマ1話分の台本をずっと起こしていました。母に「一体何をやってるの」と呆れられましたが、私は本気でした(笑)。きっとその頃から“表現すること”に強く惹かれていたんだと思います。でも台本起こしは、大変すぎてもうやりたくないって思いました。
――そこから実際に女優を目指し始めるのは?
福井 小学校や中学校の頃は「なれたらいいな」と思いつつ、どこかで諦めてもいたんです。でも、高校3年生のときにSNSでたまたまオーディション情報を見つけて、「これだ」と思って応募したんです。
――周囲は進学モードだったと思いますが、迷いはありませんでしたか?
福井 進学校だったので、みんな必死で勉強していました。でも私は、どうしても勉強に集中できなくて。そのオーディション情報を見た時に「これを最後のチャンスにしよう」と思ったんです。
――オーディションのことは覚えていますか?
福井 よく覚えています。「これでダメだったら、向いてないんだから諦めよう」それくらい真剣に準備しました。ただ、当日は逆に「とにかく楽しもう」と思って臨みました。
一般応募で来ていた子が他にもいて、雰囲気はそんなに堅くなかったんです。でも台本を使った演技審査になったら、一気に空気がピリッとして……。審査員の前で演技をするのはとても緊張しました。3人1組で、ローテーションで役を替えながら演じるのですが、頭の切り替えがうまくできなくて苦戦しましたね。