【山手線駅名ストーリー 大崎】「大きな谷」の「谷」が「崎」に変化―工場の街は高層ビル林立するビジネス街に


軍用連絡線の分起点としてスタート

連絡線に置かれた分岐点が、大崎駅の始まりである。それが正式な貨物線駅として1901(明治34)年2月25日に開業する。都心からそれほど離れていないが、広い土地があり、目黒川の水利に恵まれていたことから、近辺は官営工場が立ち並ぶ工業地帯だった。

駅の開業を機に民間企業も続々と進出。明電舎や日本精工、星製薬などが本社工場を構えていった。

1909(明治42)年には山手線の駅に編入されたが、長らく「工員さんが通勤で利用する駅」としての性格が強く、一般の人にはなじみの薄い駅だった。

昭和初期の東京市公報『新東京プロフィル』という記事には、「品川町から隣りの大崎町に入ると、いきなり耳がガァンとなる。街自体が巨大な楽器のように我鳴りたてている。低地の大小無数の工場からわき起る音響がワァンと空に響く」とある。大崎には昭和40年代頃まで、このような印象があった。

それが昭和末から平成に入ると再開発がスタートし、本社機能だけを大崎に残し、工場を郊外や地方に移転させる企業が相次いだ。

代わって大崎ニューシティ、ゲートシティ大崎などの大型施設が誕生し、現代的なビジネス街に生まれ変わった。

鉄道好きの人にとっては、大崎駅は「山手線の車庫がある駅」の印象が強いかもしれない。大崎駅に隣接する形でJR東日本の東京総合車両センターがある。品川で乗り換えるつもりが、「大崎」止まりがホームに滑り込んできて、焦った経験がある人も多いのではないだろうか。オフピークの時間帯には一部の電車を大崎止まりとして車両センターに入庫させ、環状線内をグルグル回る電車の本数を調整している。



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