2004年6月1日、長崎県佐世保市で世を震撼させる事件が起きた。市内の小学校で、小学校6年生の少女が、同級生の女児を殺害。背後から首を切るという凄惨な犯行は、11歳という加害者の年齢も相まって、連日大きく報道された。毎日新聞記者の川名壮志氏は当時、佐世保市局に在籍し、この事件を取材。その後も20年以上、同事件をはじめとする少年犯罪を追い続けている。その取材成果は、近著『酒鬼薔薇聖斗は更生したのか』(新潮新書)に詳しい。その川名氏が事件から20年余りが過ぎた今、遺族と加害少女の知られざる“その後”について記した。【前編】では、事件の概要と、被害女児の父が抱く“愛娘への思い”を詳述している。【後編】では、加害少女と家族、そして被害女児の兄、それぞれの“その後”について記す。
【川名壮志/毎日新聞記者】
【前後編の後編】
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「あの子」は今
子供という存在は、周りの大人たちに同調しているかぎり、安全であるが、無力でもある。ところが、ひとたび子供たちがその枠組みから外れた行為に走ると、今度は大人たちが自分の無力さを感じざるをえなくなる。
たとえば、2004年に長崎県佐世保市でおきた小6同級生殺害事件も、それにあたるのかもしれない。小学6年の11歳の少女が、同級生の女の子を殺害した事件だ。
事件の現場となった小学校は、山の中腹にあり、各学年一クラスしかない小さな学び舎だった。
全校児童が200人にも満たない牧歌的な学校で、真っ昼間に少女が同級生を殺めた。
彼女は、どんな子供だったのか。
怜美ちゃんが死んじゃう、と叫んだ少女
当時、私は警察、同級生、学校の教師から児童相談所、家裁関係者まで、できるかぎりの取材をした。
そこから浮かび上がる事件当日の少女の行動は、こんな感じになる。
4時間目の国語の授業が終わった正午すぎ。児童たちが給食の準備にとりかかり、騒がしい時間帯。
「ちょっといい?」
少女は担任の目を盗んで、御手洗怜美(さとみ)ちゃんに声をかけた。そして、教室から50メートルほど離れた空き教室へと連れだした。
カーテンが閉めきられた部屋で、少女は怜美ちゃんを椅子に座らせると、カッターナイフで後ろから首を切りつけた。わずか15分のできごとだった。
子供とは思えないほどの蛮行だが、事件直後の少女はうすら寒くなるほど現実感が乏しい。
少女は現場で怜美ちゃんの死を確かめていた。にもかかわらず、その直後、自分の手やズボンをべったりと血糊でぬらしたまま、
「救急車を呼んで。怜美ちゃんが死んじゃう」
と教師に告げていた。
おそらく隠蔽のための言い訳ではない。自分の犯した過ちの重みがわかっていないのだ。
少女は逃げるそぶりもみせずに警察に補導され、その後、少年鑑別所へと送致された。それから2か月間にわたって精神鑑定された後、少年審判で児童自立支援施設への入所が決まった。
彼女は11歳。当時は少年院への入所の対象でさえなかった。そのため厚生労働省が管轄する児童福祉施設にしか入れなかったのだ。つまり、彼女は法律上は「社会の被害者」。「守られる」対象であり、自立が支援される存在だったのだ。