ウクライナの西の端に位置する人口70万の都市、リビウ。ロシアによる軍事侵攻を受ける東部・南部から物理的距離があるこの都市はポーランドやハンガリーといった東欧の国とも近い。
【映像】「ホロコーストから命を繋いだマンホール」とは?(複数カット)
ミサイル攻撃による被害はあるものの、首都キーウの人々が国外避難する際の通り道であり、避難生活を送る場所でもあるという。
リビウは「人道主義発祥の地」
そんなリビウはいくつかの理由から「人道主義発祥の地」と呼ばれている。まず、リビウ大学に学んだ法律家のラファエル・レムキンがのちにナチスドイツによるホロコーストの分析を行い「ジェノサイド」という言葉を生み出したこと。そして、同じようにリビウ大学で学んだ国際法学者のハーシュ・ラウターパクトが第2次世界大戦直後のニュルンベルク裁判で「人道に対する罪」を確立したこと。さらにソ連やドイツなど、100年超で5度も帰属の国が変更になったことが挙げられる。
ここでは、そんなウクライナに何度も足を運んだ朝日新聞国際報道部 喜田尚記者が現地で撮影した写真と共に人道主義と平和を考える。
ホロコーストから逃れるために「マンホールの下」へ
女性とマンホールが映った写真について喜田記者は「この女性はホロコーストから生き延びた一家について調べた研究者だ。彼女の足元にあるマンホールの下には地下水道が流れている。この地下水道に1年半ほどこもって、ナチスドイツが撤退するまで生き延びた10人の家族がいる。地下水道は非常に狭く、高さが70センチしかないようなところもあり、当時の家族も地下水道に入って這うように移動しながら逃げていたのだろう」と説明。
21人が10人に
さらに喜田記者は「狭いだけではなく不潔で衛生環境はものすごく悪かった。1年半の間は助けも必要で、地上にいた3人ほどのポーランド人とウクライナ人が食料や水を運んでくれたという。それでも生活は壮絶で、最初にトンネルに逃げた時は21人いたが、9人は耐えられなくなり途中で地上に出て殺され、あと2人は体力が低下して亡くなっている」と話した。