「死のう!」と叫ぶ男たちが「皇居前」「国会議事堂」でいきなり割腹を始め、慌てた特高警察は…昭和の衝撃テロ「死のう団事件」の黒幕


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 1937(昭和12)年2月17日の午後、東京都内の数カ所で、「死のう!」と叫んで割腹を試みる人間が次々に現れた。他人に危害を加えたわけではないが、彼らの異常行為は世間を驚かせた。

 死のう団と呼ばれた彼らの正体は、江川桜堂という人物が率いる「日蓮会殉教衆青年党」と名のる宗教グループで、過去に弾圧を受けてきた。邪教と蔑まれてきた社会へのうらみと警察への復讐のために行動したという。

 この日の割腹事件では実際に死んだ人間はいない。しかし、事件を起こす以前に取り調べに当たっていた特高警察が、自責の念から割腹自殺をしている。

皇居や国会を襲った、5人の男による「テロ割腹」

 2月17日の正午から2時半頃にかけて宮城前、国会議事堂、警視庁、外務次官邸前、内務省階段の5カ所、5人の男がそれぞれに「死のう!」と叫んで、腹に短剣を突き立てたというのだ。

 出くわした人はさぞやびっくりしたことだろう。それより困ったのは、警視庁特高2課。他人に被害はないが、明らかな威嚇行為、とにかく全員逮捕してみた。

 1933年にこのグループは一度逮捕されている。

「割腹テロ」で実際に死んだ人数は…

 それ以来、世間からは好奇の目で見られることも多く、社会や警察に対するレジスタンスの気持ちを持ち続け、この日の行動になったようだ。

 彼らの切腹ショーは死に至ることのない塩梅のテロ行為だ。実際に切腹で死んだ人間は、リーダーの江川が逝去した後に殉死した1人だけだった。

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別冊宝島編集部/Webオリジナル(外部転載)



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