〈「婚姻届を持ってくるファンがいた」「指輪が送られてくることも…」元祖“メガネっ子アイドル”時東ぁみ(37)が明かす、ブレイク時代の苦労〉 から続く
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“メガネっ子アイドル”から一転、意外と肉食系の恋愛観、交際発覚に「別居案」まで浮上──。そして沈黙の4年半、不妊治療、すべてを隠していた理由とは?
2000年代に“メガネっ子アイドル”としてテレビ、グラビア、歌手と多方面で活躍したタレントの時東ぁみさん。現在は防災士の資格を活かした活動も行っている。2016年に結婚するも周囲に“離婚した”と勘違いされた理由から、不妊治療まで話を聞いた。(全3回の3回目/ 最初から読む )
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結婚を決意してから実際に結婚するまで2年かかった
――サンミュージックに事務所を移籍した翌年、熱愛が報道されます。その時に結婚は意識されていたんですか。
時東 付き合って2年くらいで結婚かなと思っていました。
――結婚を決意してからも、実際に結婚するまでには時間がかかったとか。
時東 2年延ばしました。私が「結婚、どうですかね」と事務所の人に聞いたら、ちょうど私が持っているレギュラーの問題で「申し訳ない。1年延ばしてほしい」と言われて、わかりましたとなって。
それで1年たったら、今度は向こうの都合的にツアーの関係で難しいとなって。お互いのファンがいて、特に向こうの方がファンメインの仕事と考えた時に、ツアー中に発表する必要もないですし、きちんと一段落をしてから発表しましょうと1年延ばしました。
結婚後すぐに始まった不妊治療
――そして2016年に結婚を発表します。時東さんは結婚してからすぐに妊活を始めたと明かしています。
時東 半年間、子供を授かるタイミングをみていたら「あれ、こんなにできないもんなんだね」って感じて。今は大体半年から1年でできなければ「不妊ですよ」と言われちゃうんです。じゃあと健康診断がてら病院に行ってみたんですが、でもお互い何も悪いところがなくて。原因のない不妊というところにはまってしまって。
検査をしたら私の年齢で考えると取れる卵子が少なかったんです。結果、なかなか着床できなかったので、それが原因かはわからないけれど、もっと自分を健康体にしようと思って、そこからファストフードを食べないとか骨盤矯正、トレーニングとかもちゃんとして、その結果、年齢が増したのに取れる卵子の数も多くなりました。
体に気を遣い始めて生理痛もゼロになったので、結果的にやってよかったなと思います。
――当時は不妊治療は保険適用外ですよね。
時東 全部適用外です。人工授精6回と顕微授精1回。その後体作りをして期間を空けて、人工授精1回と顕微授精2回で、やっと子供が授かりました。今だと保険適用なのでチャレンジしやすいと思いますけど、当時は保険適用外だったので、全然普通に車を買えるくらいはかかっています。
――2010年代だと不妊治療はまだまだ言いづらい時代です。
時東 友達やマネージャーには全部言ってましたけど、メディアでは一切言ってなかったです。そこは言いにくいというより、結果が出てから言おうと思ってました。
基本的には私たち夫婦は、お互い相手の話をしないでずっときているんです。だから公式には2ショット写真を1回も出してないんですよ。
妊娠するまでの4年半、夫婦の話を一切していなかったから、子供が生まれた話をするとびっくりされました。それこそ結婚していることを忘れている人もいましたし、中には夫婦の話をあまりにしないので、私が離婚したんだと思っていた人もいっぱいいました(笑)。
――お子さんは今は何歳ですか。
時東 今は3歳です。男の子なんですがとてつもなくやんちゃに育って、母に聞いたら昔の私にそっくりみたいです。