最期まで面倒見てくれるかと…介護を担ってくれた一人娘からの「正直、もう無理」に74歳父、涙。我が子に頼り切った老親が猛省した理由


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娘なら最期まで面倒を見てくれる…父の願い

10年前に妻を亡くしたAさん。独居暮らしをしていましたが、家事も不慣れなAさんを心配して、一人娘(当時39歳)が実家に戻ってきました。未婚だったこともあり、Aさんの力になりたいと、一緒に暮らすようになったのです。

Aさんは年金暮らし、娘は地元企業の事務員として勤務。父と娘、二人暮らしがスタートしました。子どものころから娘のことを可愛がってきたというAさん。娘との二人暮らしは不思議な感じがしたものの、頼れる家族がいることを喜んだといいます。

そんな日常が崩れたのは、Aさんが72歳の冬。自宅の玄関先で転倒し、右足の大腿骨を骨折。入院・リハビリを余儀なくされました。退院できたものの、歩行に杖が必要になり、階段の昇降や入浴の際には支えがないと不安定な状態に。食事の準備や洗濯といった家事も難しくなり、娘が仕事の合間に世話を焼く日々が始まりました。

3ヵ月後、区の地域包括支援センターを通じて要介護認定を申請すると、結果は「要介護2」。これを受け、訪問介護サービスやデイサービスの利用も検討しましたが、Aさんは「娘がいるし、何かあっても助けてくれる。わざわざ知らない人に迷惑をかける必要なんてない」と拒んだといいます。

「もう無理…」一言に込められた娘の本心

一方の娘は、父の介護のために長く勤めたフルタイムの事務職を辞め、週4日・残業なしのパート勤務に変更。急な休みも取りやすくするための決断でした。

Aさんの年金は月15万円。貯蓄は1,000万円ほどありましたが、バリアフリーのリフォーム費用や介護用品などで徐々に減少していきました。先行きの不安から、娘は外出も控えがちになり、友人と会う機会も激減。「父の世話をしなければ」「お金を無駄遣いしてはいけない」と、自らの人生を切り詰めるような生活が続きました。

そんなある日、お風呂の介助中にAさんが転倒しそうになり、「ちゃんと支えてくれ!」と語気を強めた時に、思わず口をついたのが、「もう無理」という言葉だったのです。

Aさんは、「可愛い娘のためにできることは全部してきた。だから老後の介護は返してもらうのが当たり前」――そんな思いが心のどこかにあったといいます。しかし、娘の疲れた表情と声に、深く反省させられました。

どれほど優しい娘であっても限界はある。悩みながら、必死に支えてくれていたことが伝わったのです。

その証拠に、娘はその後で「私が介護するから大丈夫、さっきの言葉は忘れて」。そうフォローしてくれました。それを聞いて思わず涙したというAさん。

Aさんはようやく現実を受け止め、公的な介護サービスを使うことを決意。年齢と共に身体の不自由さが増し、要介護3に上がったこともあり、最終的には近隣の施設への入居が決まりました。

その後、娘はフルタイムの仕事に復帰。会社帰りや休日には面会に来てくれるといいます。介護が終わったわけではありませんが、それぞれが自立した生活を送れるスタイルに変化したのです。



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