2025年に逝去した著名人の「情熱的な趣味」:週刊新潮コラムが伝える横顔

毎年この時期、私たちはその年に惜しまれつつ旅立った方々を偲ぶ記事を目にします。しかし、ここでは故人たちが生前見せていた、はつらつとした情熱に目を向け、彼らの知られざる一面を「週刊新潮」の名物コラムからひも解いていきます。昭和から令和にかけて掲載された「レジャー」「パスタイム」「マイオンリー」といったコラムは、著名人が愛してやまない趣味や対象を熱く語る場でした。本業でのインタビューとは異なる、彼らの個性豊かな言葉の数々は、人間的な魅力を色濃く映し出しています。今回は2025年に他界された政治評論家の俵孝太郎氏をはじめ、歌手の橋幸夫氏、女優の吉行和子氏、脚本家のジェームス三木氏、元力士で歌手の増位山太志郎氏の登場回を振り返り、その多様な趣味と極め方に迫ります。

3万枚のレコード棚をコレクションで満たした俵孝太郎氏(2012年撮影)3万枚のレコード棚をコレクションで満たした俵孝太郎氏(2012年撮影)

政治評論家・俵孝太郎氏:クラシックレコードへの尽きない情熱

2025年1月1日に享年94で逝去された政治評論家の俵孝太郎氏は、クラシック音楽のレコードをこよなく愛していました。学生時代はオーケストラの定期演奏会に通うほどの熱心さでしたが、新聞記者としての多忙な日々が始まり、状況は一変。レコード派へと転向するきっかけとなりました。彼は「新聞記者になり、大阪で働きだした。昭和28(1953)年、N響にジャン・マルティノンが客演し、ストラヴィンスキーの3大バレエを一挙に並べた曲目で来阪した。ところがその日、殺しがあって聴きに行けなくなった。前売り券を買って音楽会に通うのは無理な商売だとわかった」と、当時の心境を語っています。 このマルティノン初来日の年、23歳だった俵氏は、それから27年後の1980年9月、50歳の時には熱心なコレクター生活を謳歌していました。「都心で仕事があって、その後テレビ局へ行くまで、ポッと2時間ぐらいの空きができてしまうことがある。そんな時は銀座の中古専門レコード店『ハンター』で時間をつぶす。杉並の自宅に帰れば、その往復だけで2時間はとられるし、だいいちそのタクシー代だけで中古のレコードが何枚も買える」と、その情熱を明かしています。 空き時間を見つけては足繁くレコード店に通う姿は、クラシック音楽への深い愛情と、コレクターとしての徹底したこだわりを示していました。

俵孝太郎氏がレコード収集に注いだ情熱は、仕事とは異なる彼の人間的な深みを私たちに伝えてくれます。著名人たちの趣味を語る「週刊新潮」のコラムは、彼らが持つ多面的な魅力や、人生を豊かにする源泉を浮き彫りにしました。彼らの情熱的な姿に触れることで、私たち自身の趣味や生き方について改めて考えるきっかけとなるでしょう。


参考文献